ミ18船団の戦時標準船K型3隻

Images reveal three more Japanese WWII shipwrecks torn apart for scrap

 国星丸、日金丸、日和丸。全部ミ18船団所属の戦標K型だなぁ、と思う。中国船の違法サルベージによって、これら三船の残骸が鉄くず回収目的で引き上げられたことを報じる記事。

1944年10月1日
国星丸(こくせい-,大阪商船)積荷不明,陸軍兵31船砲隊1船員15戦死

同10月2日
日金丸(ひがね-,日本郵船)ボーキサイト7,700t他,便乗者7警戒隊2船員6戦死
日和丸(ひより-,日本郵船)ボーキサイト7,790t他,便乗者4警戒隊3船員27戦死

 回収できるのはせいぜい3,000t/1隻くらいの鉄だろうと思うが、記事の下の方にはこれら沈船回収の一般的動機として、リン青銅製のプロペラと"Low-background steel"(いわゆる陸奥鉄)に言及している。戦標2Eで鋳鉄ペラのがいたと思うが、K型がどうであったかは分からない。

第一次・二次戦時標準船の竣工時期

 ふと思い立って、第一次・二次戦時標準船の竣工数とその時期(1A・B・C・D及び2A・D,油槽船除く・改造油槽船含む)を調べてみた。第一次は「戦時」と名が付けども完成は昭和18年(1943年)の後半からで、二次の2A型が海上輸送に投入されたのは昭和19年に入ってから。
戦時標準船竣工数(1A/B/C/D・2A/D)
戦時標準船竣工数(1A/B/C/D・2A/D)

 海防艦丙・丁型の投入も同じ頃で、遅い速いはともかく、日本の戦時造船におけるマスプロが機能し始めたのはこの時期ということだろう。

戦時標準船2A型の積載量について

 戦時標準船2A型は6,600総トン(計画値)である。この総トン数(Gross Tonnage)は船の容積を示すもので、実際に積める貨物の重さではない。それを示すのは載貨重量トン数(Dead Weight Tonnage)である。

Fold3 Image - 29022431

 ではそれがいくらかというと、11,200載貨重量トンである。戦時造船史にはこれらの数字と並んで、平時満載貨物として10,114トンとの数字がある。1割の戦時増載込みということであろうか。

 1945年(昭和20年)7月の伏木港(富山県)の入港船。戦後にGHQに提出したもののようだ。「7/16 DAIIKU 12,090」「7/18 EHIKO 11,899」がそれぞれ石炭1万トン強を搭載して入港したことになっている。
Port of Fushiki: Daily record of entry and clearance of ships

国立国会図書館デジタルコレクション - Port of Fushiki: Daily record of entry and clearance of ships, port of Fushiki(Japanese). : Report No. 54a(1)(a), USSBS Index Section 2 (コマ番号59/97より)

 前者は大郁丸(大阪商船)、後者は英彦丸(日本郵船)で、いずれも戦時標準船2A型である。表の項目の総トン(GT)は、斜線で消されて載貨重量トン(DT)に訂正されている。2A型も満載で運航されていたのだな、と少し安心する。 

戦時標準船2A型の戦後

 戦時標準船2A型、と言われてぱっと船容が思い浮かべられる人は少数だろう。何しろ残っている写真が少ない。2年ちょっとの間で120隻余も建造された筈なのに、日本で撮影された公試時の写真などの他にはこういうものがあるばかりである。
Fold3 Image - 29016110

 国破れて山河あり、日の丸商船隊失われて戦標船ばかり残り、という訳でもないが、残存したり引揚げられたりで50隻ほどの2A型が戦後再び就航している。海運界の復興に伴いやがて海外航路にも進出するが、入港先としてもあんまり危ない船に入ってきてもらうのはお断り、となるので、国際的に認められた船舶の安全規格に沿うよう改造工事をした上で日本から出すことになる。戦後盛んに実施された、戦時標準船の国際船級への入級工事がそれである。

 敗戦により、戦前日本が持っていた国際船級であるNK船級の効力も海の藻屑となったので、戦後就航した2A型のうちおよそ2/3はアメリカのAB船級を取得した。この入級工事に際して三島型に改装されてしまったので、昔日の2A型の面影はない。船首と船尾周りにかすかにそれと思しき雰囲気が残っている。
CVA 447-8482 - S.S. Tamon Maru No. 16 [at dock]
S.S. Tamon Maru No. 16 [at dock] - City of Vancouver Archives

 さて、この第十六多聞丸の5年ほど前の姿を見てみよう。国土地理院の地図・空中写真閲覧サービス、1947/11/06(昭22)撮影のUSA-M631-58の一部、石川県七尾南湾の湾口付近。
石川県七尾南湾の湾口付近(1947/11/06(昭22)撮影)
(出典:国土地理院 地図・空中写真閲覧サービス



 真っ二つになりかけていたのを二つに切り離し、舞鶴まで曳航して繋ぎなおした記録が残っている。

no16tamon01.jpg
no16tamon02.jpg

CiNii 論文 - 第十六多聞丸結合工事


 いつも空船状態の2A型しか見ていないので、船脚を深く沈めた姿に違和感を覚えたり、乾舷の低さにちょっと不安になったりもする。これで北太平洋横断するんだよな?(撮影地:バンクーバー)
S.S. Enkei Maru E.O. 26 [at dock]
S.S. Enkei Maru E.O. 26 [at dock] - City of Vancouver Archives

 先入観がある故になかなか信じて貰えないこともままあるが、あまり有名でない戦標船ならそんなこともないだろう。改装された戦時標準船2A型、輝山丸。売船に伴って泉丸と改名後の姿。
CVA 447-5242 - M.S. Izumi Maru
M.S. Izumi Maru - City of Vancouver Archives

 ただでさえ船尾トリムが問題になった2A型を船尾船橋にして、操船に問題は生じなかったのだろうか。

 このAB船級入級工事、政府が希望する船主に斡旋したらしく設計はほぼ同じらしいが、改装工事は複数の造船所で行っているので艤装に多少の差異がある。予備浮力が心配になるが、これほど荷を積んだ戦争中の写真は見たことがない。
CVA 447-8465.2 - S.S. Taikyu Maru
S.S. Taikyu Maru - City of Vancouver Archives

 なお、少なくとも一部の船は改装に当たってトランサムスターンを改めているが、理由はよく分からない。船尾の甲板面積の拡大と予備浮力の増大くらいしか思い当たらないが、案外「見た目」だろうか。 
CVA 447-7055.2 - S.S. Mukahi Maru [at dock]
S.S. Mukahi Maru [at dock] - City of Vancouver Archives

 戦時標準船2A型、とこの写真を示されて違和感を抱くのは見慣れている人だけかもしれない。よく見るとデリックのブームはトラス構造の省材型だし、キングポストは角断面で戦時中の建造に違いない。
CVA 447-5589 - S.S. Kyoshin Maru
S.S. Kyoshin Maru - City of Vancouver Archives

 実はこの船、戦争末期に播磨造船所で起工され、戦時中に1隻しか完成しなかったちょっとレアな3TA型の1隻戸畑丸で、売船されて共進丸と改名後の姿。3TAは2A型を基本に機関出力を向上させた油槽船として戦争末期に計画されたが、南方航路の途絶により貨物船に改装されたもの。

 改装されているものの、こちらが本来の2A型。遠州丸が売船された後の姿。

ShipSpotting.com
© dedge


 この写真、戦標船関係の某洋書の表紙に使われているもののようだ。

戦時中の造船所

 写真週報229号表紙(昭和17年7月20日発行)より、本文には「7月1日撮影」とあり、防諜の為「○○造船所」としか書かれていないが、背景に写っているのは雲仙丸(3,140t,日本郵船)だろう。ということは三菱横浜造船所である。
写真週報229号表紙
表紙(写真週報229号)

 「戦時標準船建造は進む」というキャプションを信じるなら、この頃三菱横浜で建造中なのは逓信省標準船(平時標準船)TM型なので、おそらく日南丸か日輪丸のどちらかだろう。先の雲仙丸(汐入船渠,第四~五号岸壁)の位置からして、一番南側の第五号船台だろうか。

写真週報229号本文01
本文6P(写真週報229号)

写真週報229号本文02
本文7P(写真週報229号)

特2TL型山汐丸の戦後

 Naval History and Heritage Commandより、1945年9月撮影の特2TL型山汐丸。同年2月17日、第58任務部隊艦上機による空襲で被爆着底したようだ。
SC 211765 YAMASHIO MARU (Japanese Aircraft Carrier, 1944) scuttled in Tokyo Bay in September 1945
着底した山汐丸(Naval History and Heritage Commandより)

 沈没場所は横浜港内とあるので探してみたところ、どうやら現在の瑞穂埠頭であるらしい。国土地理院の地図・空中写真閲覧サービスより、1946/03/09(昭21)撮影のUSA-M-68-A-6-1-3の一部を拡大したもの。
横浜港瑞穂埠頭(1946/03/09(昭21)撮影)
(出典:国土地理院 地図・空中写真閲覧サービス

 背後の防波堤の見え方からしてこの写真の中央やや下あたりにいた筈だが、米軍が埠頭を使用するに当たって邪魔だったのか、早々に浮揚されたらしくすでに姿は見えない。

 ではどこにいるんだ、というと、ここにいる。同日撮影USA-M-68-A-6-1-29、今の山下埠頭と横浜ベイブリッジの間あたりだろうか。
横浜港内山下埠頭沖(1946/03/09(昭21)撮影)
(出典:国土地理院 地図・空中写真閲覧サービス

 ここで駆逐艦らしきものを挟んで右が、後に八戸港の沈船防波堤になる2TL富島丸/大杉丸/東城丸のいずれかと思われる。すぐ左が撮影日の3日前に漂流衝突して沈没した標的艦大指(未成)。その左の商船2隻は分からない。
山汐丸と標的艦大指
浮揚後、横浜港内で係留中の山汐丸(出典:山汐丸,Wikipediaより)

 さて、浮揚後も係留されていた山汐丸であるが、当時全国各地で艦艇の解体が進められていた。GHQの指令の下、運輸省が最寄の造船所に浮揚・解体を命じ、スクラップは無償で払い下げるが解体費用は出さないというものだったらしい。命令を受けた三菱横浜造船所、割が悪いので浮揚後しばらく放置。

 そんなある日の朝、山汐丸の船首がぽっきり折れて再び沈没してしまった。場所はここ(青矢印)、右側が船首であるが、間の悪いことに5つある船台のうちの2つを完全に塞いでしまっている。1947/07/24(昭22)撮影のUSA-M378-120より。
三菱横浜造船所(1947/07/24(昭22)撮影)
(出典:国土地理院 地図・空中写真閲覧サービス

 あまり関係ないが、この写真の中央上部には一等輸送艦が停泊中である。時期的に小笠原捕鯨に従事していたものであろうか、デッキハウスがあるように見受けられるので、一等輸送艦第9、13、16、19号のいずれの可能性もあると思われる。また、中央やや右で停泊中の船にはバウスプリットがあるように見え、あるいは帆船日本丸/海王丸かもしれない。
 なお、現在この付近一帯はみなとみらい地区となっており、このやや南が現在帆船日本丸が保存されている場所になる。戦後70年を経て、周囲の変遷には目を見張るばかりである。

 閑話休題、ただでさえ儲けが出ないのに、再浮揚となれば赤字は免れない。所長の鶴の一声で、塞がれた第一号第二号船台は地上組立場とし、第三号船台に干渉する船首部分は解体することに決したが、運輸省は航空母艦を岸壁にするのはもってのほか、やりたければ自力でGHQの許可を取ってこいとのこと。
 これは普通のタンカーを改装したものである、などと色々説明したものの取り付くしまもない。結局、あらゆる角度から山ほど写真を撮って提出し、ようやく許可を取ったという。

 こうして7号岸壁こと通称「山汐桟橋(岸壁)」は、昭和30年前後に埋め立てられるまでその姿を残していたようだ。1956/03/10(昭31)撮影のUSA-M324-233より。
三菱横浜造船所(1956/03/10(昭31)撮影)
(出典:国土地理院 地図・空中写真閲覧サービス

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 ちょっと遡って山汐丸建造中の話。完成も近づき、艤装岸壁に繋がれて運転のため汽缶を点火しようとしたところ、風が吹くと煙突から吹き込む風に缶の送風機が負けてしまいどうしても点火できない。

 仕方がないので、岸壁のクレーンで鉄板を煙突の前に吊って火をつけたという。風向きにもよるのであろうが、横向きの煙突も中々難しいということだろうか。同じ特TLのしまね丸の図面を見ると、同様に真横に出してはいるが途中から上に角度をつけており、開口部は上向きになっている。
山汐丸一般配置図
山汐丸一般配置図(出典:戦時造船史(小野塚一郎著,S63今日の話題社))

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 なお、山汐丸が再びの沈没を遂げた頃の横浜港内には、後に八戸港の沈船防波堤になる2TLの富島丸/大杉丸/東城丸のうち2隻と思われる船が係留されている。1947/07/24(昭22)撮影のUSA-M378-127より、時期的にはちょうど沈船防波堤への改装工事中であろうか。残るもう1隻の2TLは、これと同日撮影である先のUSA-M378-120で三菱横浜の岸壁にいる。
横浜港瑞穂埠頭沖(1947/07/24(昭22)撮影)
(出典:国土地理院 地図・空中写真閲覧サービス

八戸港の沈船防波堤―戦時標準船2TL型の戦後(本blog内記事)

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 戦時中陸軍が撮影したものか、1944/10/14(昭19)撮影の897-C8-107より。2TL玉栄丸がこの日竣工だが、第一号船渠右手桟橋に接岸中の船がそうであろうか。船台上にある2隻のうち、上側第四号船台ののっぺりした方は建造中の山汐丸ではないかと思っている。

三菱横浜造船所(1944/10/14(昭19)撮影)

特TL型しまね丸の無線マスト

 太平洋戦争中に日本が建造した戦時標準船のうち、主として船団護衛に用いるためTL型(大型油槽船)に飛行甲板を装備した特TL型と呼ばれるものがあった。

特TL型 - Wikipedia

 計画されたほとんどが竣工することなく終戦を迎えたが、わずかに完成したうちのしまね丸(原型1TL)は、1945年(昭和20年)7月24日、香川県さぬき市の志度湾(鴨庄湾)にて英海軍艦載機の攻撃を受け、大破着底している。

しまね丸 (タンカー) - Wikipedia

 国土交通省の地図・空中写真閲覧サービスより、1947/04/12(昭22)撮影のUSA-M204-19の一部。大破着底中のしまね丸。何か横付け中であるが、東側(写真右手)が船首だろうか。

香川県さぬき市志度湾(鴨庄湾)1947/04/12(昭22)
USA-M204-19(出典:国土地理院 地図・空中写真閲覧サービス

特TL型しまね丸(出典:Wikipediaより)
特TL型しまね丸(出典:しまね丸 (タンカー),Wikipediaより)

 およそ5ヵ月後の1947/09/08(昭22)撮影、USA-M450-83。切断された船体前半部分(?)が湾の奥で解体中。残っているのは水没している後部であろうか。

香川県さぬき市志度湾(鴨庄湾)1947/09/08(昭22)
USA-M450-83(出典:国土地理院 地図・空中写真閲覧サービス

 ここで短い生涯を終えたしまね丸であるが、無線マストを地元の有志が貰い受けて消防団の警鐘台となった後、移設保存されて現在に至っている。

しまね丸無線マスト(四国村,香川県高松市,2015年12月19日筆者撮影)
しまね丸無線マスト(四国村,香川県高松市,2015年12月19日筆者撮影)

 警鐘台は志度町鴨庄白方に設置されていたというから、正に先の写真で解体されていた浜の付近である。マストの根元には機銃弾の弾痕とされる窪みが残っていた。

ある浮船渠の由来-陸軍特殊船熊野丸の戦後

 日本陸軍が建造した揚陸艦の一種である陸軍特種船の一隻に、熊野丸(戦時標準船M丙型)がある。1945年(昭和20年)3月31日に一応の竣工とされたものの、戦局はすでに本船が運用が可能な状況にはなく、広島湾の金輪島に兵装未搭載で擬装を施して係留されたまま終戦を迎えている。
 戦後は引揚輸送に従事した後、1948年(昭和23年)8月末までに解体されたようだ。

陸軍特殊船熊野丸
陸軍特殊船熊野丸(出典:熊野丸,Wikipediaより)

 国土地理院の地図・空中写真閲覧サービス、1948/02/20(昭23)撮影のUSA-M18-4-61の一部、神戸港。現在の神戸市灘区沖、神戸製鋼付近に停泊中の陸軍特殊船熊野丸。

USA-M18-4-61
USA-M18-4-61(出典:国土地理院 地図・空中写真閲覧サービス

 熊野丸の解体後、二重底のみがしばらく神戸港に浮いていたという。その後川崎重工神戸が払い下げを受け、12月から浮きドックへの改装工事に着手した。

 二重底を船台に台車で引き揚げて上部構造物を追加建造し、1949年(昭和24年)3月9日に再びの進水を経て、3月末に1,000総トンの収容能力を持つ浮きドックとして完成している。なお、新設部分にも熊野丸の解体材料の転用が図られ、機器類もありあわせのものが使用された。

1,000t浮きドック
1,000t浮きドック(出典:関西造船協会会誌 (67), 1950-09)

 同じく1961/05/14(昭36)撮影のMKK611-C15-120の一部、川崎重工神戸工場付近。中央の大きな浮きドックは川崎の誇る13,000t浮きドック(1953年完成,第三浮きドックと命名)。その左側にいるのがex-熊野丸のようだ。 第三浮ドックの完成と命名に合わせ、ex-熊野丸は第二浮ドックと命名される。

MKK611-C15-120
MKK611-C15-120(出典:国土地理院 地図・空中写真閲覧サービス

 1972/05/03(昭47)撮影MKK726-C3-12、中央に二基並んでいる小型の浮きドックのうち、左側の小さい方がex-熊野丸らしく、これがおそらく最後に確認できる写真ではないかと思われる。実際にこの浮船渠がいつまで活動していたかは分からない。残存・帝国艦艇(木俣滋郎,S47図書出版社)によれば、ex-熊野丸こと第二浮きドックは「昭和47年末に廃棄される予定」とされている。

MKK726-C3-12
MKK726-C3-12(出典:国土地理院 地図・空中写真閲覧サービス

 余談であるが、13,000t浮きドック(第三浮ドック)の方はポンツーンの輪切りを6つ進水させて後で繋げ、上部構造物を載せるという面白いことをやっている。こちらは、現在稼働中の新第三浮きドックが完成する1986年(昭和61年)2月まで現役だったようだ。

CiNii 論文 - 二重底を改造せる浮船渠の設計に就て
CiNii 論文 - 12,000_T浮船渠「ポンツーン」の進水に就いて

CiNii 論文 - 浮揚力38,000t"新第三浮ドック"

波形船―戦時造船の徒花

 太平洋戦争中、船腹の不足に苦しんだ日本が取り組んだ戦時造船において、コンクリート船をはじめとしてついに徒花となった計画がいくつか存在するが、そのうちの一つに「波形船」がある。

 波形船とは、船体外板の一部(船体中央の平行部分のみ)に波形(コルゲート)鋼板を用いたもので、目的としては自動車工場のプレスを活用して波形板の大量生産を行い、かつ主機にはやはり大量生産が行われていた自動車機関を用いるというものであった。

波形船断面図
波形船(日義丸)と普通型船の中央切断図(出典:関西造船協会会誌 (64), 1949-03)

 自動車生産能力の一部を逼迫した造船能力に転用しようとしたものであろうか、戦時標準船1F型(530総トン)と同一寸法の貨物船(第一試作船)、次いで油槽船(第二試作船)の試作が計画されたが、前者の建造中に終戦を迎えたたため、後者は図面上のみの存在となった。

 しかし、図面を見るに、完成を見ずに済んでよかったように思われる。第一試作船の機関は推進軸1軸に対し、直列6気筒のガソリンエンジン8基からそれぞれ溝車、つまりVベルトで動力を伝達するものだったようだ。

第一試作船
第一試作船・波型貨物船「波1」一般配置図(出典:関西造船協会会誌 (64), 1949-03)

 搭載予定の直6ガソリンエンジンの計画出力は8基で400馬力(50馬力/1基)、気筒内径82.5mm/行程114.3mmの4サイクル機関らしいが、形式は不明である。スミダA6型あたりが近いように思われるが。。。
 定格回転数はエンジン側の溝車が327rpmで推進軸が260rpmであるが、エンジンのクランク軸は2,000rpm近く回るはずである。ひょっとして、エンジンに車用のトランスミッションがそのまま付いていて減速していたりするのではなかろうか。

 第二試作船も同じく8基の自動車用エンジンを搭載しているが、動力伝達には溝車の代わりに傘歯車減速装置を用いており、一応の進化が見られる。しかし、第一試作船共々どうやって機関を始動するものか想像がつかない。

第二試作船
第二試作船・波型油槽船「波2」一般配置図(出典:関西造船協会会誌 (64), 1949-03)

 加えてガソリン蒸気の充満する機関室、燃料油槽(ガソリン40~50t)の真上に位置する船橋、これに乗り組むことになる船員はたまったものではないだろう。もっとも、当時の燃料事情からして、このまま完成したとしても運航されることはなかったであろうと想像できるが。

 建造に要する資材の見積もりとしては、普通型に比べて波形板を使用する船体中央の直線部分の肋材が大幅に省略でき、鋼材重量が2割程度の減となる。とはいえ小型の1F型であるので、これで捻出できる鋼材はわずかに10t余である。
 一方、工数は船体外板を波形加工するのに必要となる工数と、肋材の曲げ加工が不要となる工数の差し引きで3割強程度の減になるとされ、大量生産が実現した場合はさらに減少する見込みであった。

 さて、建造途中で終戦を迎えた第一試作船は、主機を石炭焚きの蒸気レシプロに変更して1946年(昭和21年)に貨物船日義丸(日産汽船)として完成した。缶室の分貨物倉の容積は減少しているが、当初計画に比べればまっとうな機関構成である。

日義丸
日義丸(波形船)と戦時標準船1F型一般配置図(出典:関西造船協会会誌 (64), 1949-03)

 しかしその生涯は短く、昭和25年5月11日未明、福岡の若松から石炭を搭載して神戸に向かう途上、濃霧の播磨灘で油槽船第三鷹取丸(平和汽船,253t)と衝突、沈没して失われた。乗員27名全員が無事第三鷹取丸に救助されたことが、不幸中の幸いであった。

CiNii 論文 - 波形貨物船 「日義丸」 に就て
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