国破れて-終戦後の呉軍港とその周辺

 国土地理院の地図・空中写真閲覧サービスより、1947/05/01(昭22)撮影のUSA-M312-2-175の一部を180度回転させたもの。場所は呉工廠で、中央の第三船渠にポンツーンが、右の造船船渠では何かが解体中。

呉海軍工廠(1947/05/01(昭22)撮影?)
USA-M312-2-175(出典:国土地理院 地図・空中写真閲覧サービス

 左の第四船渠には標的艦摂津がいるが、右下の起重機船やその横の元駆逐艦か何かと思しきポンツーンなど色々目を引くものがある。第三船渠のポンツーンは昭和埠頭の辺りにあるものとセットらしく、またその海側には舵が放置されているが、これまでにここで解体された龍鳳や利根のものだろうか。

 さて、同じく1947/05/05(昭22)撮影のUSA-M280-86。先の写真の4日後に撮影されたことになっているが。。。造船船渠がなにやらおかしいような気がする。第四船渠に摂津の姿もない。わずか4日でここまで様子が変化するだろうか。

呉海軍工廠(1947/05/05(昭22)撮影?)
USA-M280-86

 では消えた摂津はどこにいるかというと、沖合いの泊地にいる。1947/05/05(昭22)撮影、USA-M280-15。先の第四船渠にいた写真と比べると、バーベットや司令塔がまだ残っているように見える。

呉海軍工廠沖合(1947/05/05(昭22)撮影)
USA-M280-15

 どうもこの一連の撮影の日付、少なくともどちらか一方が間違っているのではないだろうか。M312が5月1日撮影、M280が5月5日撮影となっているが、撮影順序としてはおそらく逆で、M312よりM280が前かつ少なくとも1週間以上の開きがあるのではないかと思うのである。両方の写真の第三船渠で解体中なのは、いずれも航空母艦阿蘇(未成)なのではなかろうか。

 ちなみに、少々見づらいが1947/03/18(昭22)撮影のUSA-M126-113(180度回転)だとこういう状況である。

呉海軍工廠(1947/03/18(昭22)撮影)
USA-M126-113

 そんなことを考えつつも、この辺りの写真は眺めているだけでも色々面白く、先の第三船渠の海側に転がっている舵がM312では1枚ずつなのにM280では2枚ずつになっているとか、M280の造船船渠の奥の方に蛟龍が埋もれてるとか。。。etc

-***-

 1948/01/07(昭23)撮影のUSA-M2-6-117。あまり解像度は高くないけれど、第三船渠に入渠しているのは軽巡洋艦大淀。 第四船渠のTL型は機関室開放中のように見受けられるが、引き揚げられた2TL玉栄丸だろうか。記録に残っている日付の整合性に疑問はあるが。

呉海軍工廠(1948/01/07(昭23)撮影)
USA-M2-6-117

 1947/05/19(昭22)撮影のUSA-M307-48、江田島小用沖で着底した戦艦榛名。四番砲塔以外の上部構造物の解体はほぼ完了しているようだ。

江田島小用沖(1947/05/19(昭22)撮影)
USA-M307-48

 同日撮影、USA-M310-10。榛名のやや北方で横転沈没した装甲巡洋艦出雲。隣に沈没している小型艇は飛行機救難艇だろうか。

江田島小用沖(1947/05/19(昭22)撮影)
USA-M310-10

 1947/03/31(昭22)撮影のUSA-M220-6、呉市警固屋沖で着底した重巡洋艦青葉。こちらも上部構造物の解体は終了しているようだ。

呉市警固屋沖(1947/03/31(昭22)撮影)
USA-M220-6

 1947/05/05(昭22)撮影のUSA-M280-83。呉工廠の昭和埠頭付近に係留中の、種別不明の小艦艇と4隻の輸送船。詳しくは分からないけど、左上の船は「青筒」こと"Blue Funnel Line”の船ではないだろうか。
 左側のポンツーンは沈没したらしく、USA-M312-2-175の第三船渠にいるようだ。

呉海軍工廠(1947/05/05(昭22)撮影)
USA-M280-83

 1947/05/19(昭22)撮影のUSA-M308-2。呉工廠からちょっと北の方、今の呉卸売市場の沖合辺り。

呉海軍工廠北(1947/05/19(昭22)撮影)
USA-M308-2

 左から乙型駆逐艦、甲型海防艦、二等輸送艦×2、峯風型以前の駆逐艦、甲型・丙型・丁型・丙型海防艦、丁型駆逐艦、二等・一等・二等輸送艦と思われる。丁型駆逐艦右手の二等輸送艦の甲板に、海龍と思しき物体が搭載されている。

 そして、さらにその北、川原石駅前辺りの砂浜にどし上げた駆潜特務艇と繋げて、桟橋代わりに使われる丁型駆逐艦。発射管跡の黒い影は、盛られた石炭だろうか。同日撮影のUSA-M308-47。

呉海軍工廠北(1947/05/19(昭22)撮影)
USA-M308-47

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 以上、比較的鮮明なものを取り上げてみたが、さほど解像度は高くないものの他に有名どころでは着底中の戦艦伊勢、日向、大淀、利根、天城などが確認できるので、興味のある向きは探してみるのも一興かもしれない。

駆逐艦初霜最期の地

 国土地理院の地図・空中写真閲覧サービス、1948/09/02(昭23)撮影のUSA-M86-1-26の一部。京都府宮津湾、天橋立の対岸で擱座した駆逐艦初霜。

京都府宮津湾(1948/09/02(昭23)撮影)
USA-M86-1-26(出典:国土地理院 地図・空中写真閲覧サービス



 2016年1月9日、現地を訪れてみた。

京都府宮津湾
初霜擱座地点付近より、宮津湾を望む(2016年1月9日筆者撮影)

初霜擱座地点付近

 当時はこんな風に見えていたのかもしれない。

過去の幻影

貨物船ビハールについて

 このニュース映画に登場する「敵イギリスの1万トン級貨物船」、どうやら貨物船ビハール(Behar)であるらしい。7,489総トン、主機4気筒2サイクルディーゼル2基2軸、The Hain Steam Ship Co.所属。

日本ニュース 第202号|NHK 戦争証言アーカイブス

ビハール(NHK日本ニュースより)
(画像出典:日本ニュース 第202号)

貨物船ビハール
(画像出典:MV 'THE BEHAR'

 先代が1940年に機雷に接触して大破放棄されたため、その代船としてグラスゴーはクライドのBarclay Curle造船所で1943年3月末に竣工した同船は、南アフリカとインドを経由するオーストラリア航路に就航した。

 1944年2月19日、オーストラリアのメルボルンから英国に向け出港し、経由地のボンベイに向かっていた同船の運命はWikipediaに詳しい。

ビハール号事件 - Wikipedia

 さて、ニュース映画の中で転覆沈没する同船の船首に、なにやら突起のようなものが写っていたので水測兵器かなと思っていたが、捕虜となったうちの1名にアスディックオペレーターがいるらしく、やはりASDICのようだ。 先の同船画像出典先のWebサイトは、ビーハル乗組で砲手兼アスディックオペレーターであった英海軍下士官の訃報(2002年)を伝えるものでもある。

転覆するビハール1(NHK日本ニュースより)

転覆するビハール2(NHK日本ニュースより)
(画像出典:日本ニュース 第202号)

 なお、日本でも有名どころだと日本郵船の浅間丸に三式探信儀を積んでいたりするので、アスディックの装備は不思議なものではない。輸送船などへの探信儀装備例は、「海軍電気技術史」の第6部に詳しい。

桜と錨の海軍砲術学校-史料展示室『海軍電気技術史』昭和22年
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