戦艦扶桑―初の国産超弩級戦艦(その4)

 梯形配置と呼ばれる主砲の配置がある。弩級艦時代に限れば、艦形の拡大を抑えることを主として、なお首尾線方向への火力も確保する為のものと言える。特に港湾・修理施設や運河の制約により、幅や喫水の制限が厳しい英独で多用された。

英巡洋戦艦主砲配置(Wikipediaより)
英巡洋戦艦砲塔配置(出典:インヴィンシブル級巡洋戦艦,Wikipediaより)

 梯形配置の元をたどれば、前弩級戦艦の中間砲に行き着くことが出来るだろう。日独の戦艦のように、そのまま主砲と置き換えて亀甲配置にしてしまったものもある。ここから対角線の砲塔を撤去すれば、梯形配置となる。

戦艦キングエドワード7世級(Wikipediaより)
(出典:King Edward VII-class battleship,Wikipedia(en)より)

 オライオン級に至って、ようやくこれまでの幅と喫水の制限から開放され、艦形を拡大して13.5インチ砲を搭載すると共に、全砲塔が中心線配置となる。主として幅の増大により、重心の上昇が大きい前部主砲群の背負式配置が可能になったものと思われる。
 また、これまでどおり砲塔を舷側に配置すると船体強度に不安が生じること、防御面にも限界があることも理由であろう。

戦艦オライオン(Wikipediaより)
戦艦オライオン(出典:オライオン級戦艦,Wikipediaより)

オライオン級砲塔配置
(Wikipediaより)

 もっとも、英海軍にはまだ若干の迷いがあったのではないか、と思わせるものもある。巡洋戦艦ライオン級のQ砲塔―いわゆる第三砲塔―の弾薬庫配置は左舷側に偏っており、本来は舷側配置であったものを中心線配置に変更した名残、とも考えられる。(※この指摘は、私の知る限りWebサイト三脚檣の志郎さんが最初です)

巡洋戦艦ライオン(Wikipediaより)
巡洋戦艦ライオン(出典:ライオン級巡洋戦艦,Wikipediaより)

(出典:British Battleships of World War One, R. A. Burtより)
(出典:British Battleships of World War One, R. A. Burtより)

 さて、扶桑型の計画にはこの梯形配置案がいくつか存在し、そのうちの一つがA47案である。時期的には金剛型の計画時であろう、扶桑の計画番号はA64である。平賀譲デジタルアーカイブ 資料番号:2026 A47(4/12)
 このA47案の3/4番主砲塔を中心線配置とすると、実際に建造された扶桑の砲塔配置となる。艦形の拡大により、15インチ砲塔を中心線配置とする余裕が出来たからであるとすれば、非難轟々たる「あの」主砲配置の成立経緯として妥当なものではなかろうか。A47の全長(垂線間長)615ftに対して扶桑は630ft、その差は4.6mほどで、梯形配置による恩恵はあまりないようだ。
 なお、扶桑の3/4番砲塔の弾薬庫配置は中心線に対して左右対称である。

 結論として、扶桑型の砲塔配置は梯形配置の舷側砲塔が元になったもの、と言ってよいのではなかろうか。その是非は、建造当時の日本が置かれた状況を、またその後30年に渡って日本の国防を担う存在となった主力艦として、扶桑型をどう見るかによると思われる。
 扶桑の砲塔配置をただ欠陥と指摘するものは掃いて捨てるほどあるが、なぜあの砲塔配置を選ぶに至ったか、を記述したものを見たことがない。なぜだろう。

 戦艦扶桑。竣工から遡ることわずか10年前には日本海海戦があり、その時国産主力艦を持っていなかった日本からすれば、超弩級戦艦の建造まで長足の進歩を遂げたと言える。至らぬ点はあったと言えど、日本の古名を冠する戦艦を、十分な根拠なしに欠陥と断ずるのも悲しいものだと思う。

戦艦扶桑―初の国産超弩級戦艦(その3)

 背負式に配置された砲塔のことを"Superfire"というらしい。弩級艦あたりを一足飛びに進化してしまった日本では、あまりなじみのない単語であるが、英wikiには独立項目として設けられている。
 Superfire - Wikipedia, the free encyclopedia

 弩級戦艦の登場当時、射撃方位盤はまだ存在しない。当然、照準は砲塔側で行う必要があり、当時の英式砲塔はこうなっている。左右がそれぞれ左右砲手の、中央が砲塔長の照準口と思われ、ここから望遠鏡式の照準器で照準を行う。照準器は中央は双眼、左右は単眼で、中央だけ幅が広くなっている。
 よく見ると、中央のカバー後端にはスリットが設けられているのが見え、このあたりには人間の頭が入っている筈である。

戦艦ドレットノート後部砲塔(Wikipediaより)
戦艦ドレットノート後部砲塔(出典:ドレッドノート (戦艦),Wikipediaより)

 例えばこの砲塔を背負式に配置すると、下部砲塔の照準口のほぼ真上に上部砲塔の砲口が位置することになる。首尾線方向に射撃を行ったとしたら、下部砲塔の砲手はただでは済まないだろう。

戦艦ネプチューン(Wikipediaより)
戦艦ネプチューン(出典:ネプチューン (戦艦),Wikipediaより)

 後に潜望鏡式の照準装置を開発して対策とし、照準口は小さなものになっている。

戦艦コロッサス(Wikipediaより)
戦艦コロッサス(出典:コロッサス級戦艦,Wikipediaより)

 この時期の英式砲塔の進化はこちら。一方で、新造時の写真を見ると、本図とは異なり、全主砲塔が同一平面上配置のセント・ヴィンセント級までは望遠鏡式のフード、後部二砲塔が背負式になるネプチューンからは潜望鏡式のフードを装備して就役しているようだ。後に砲塔天蓋の装甲追加と共に、望遠鏡式で就役した艦が潜望鏡式に改造されているのが確認できる写真も残っている。
 というのか、これでいいのかエジンコート。。。

British Battleships of world war one, R A BURTより
(出典:British Battleships of World War One, R. A. Burtより)

 では、英式の流れを汲む日本ではというと、初めて背負式砲塔を持った金剛の公試時に確認をしているが、特に問題はなかったようだ。 平賀譲デジタルアーカイブ 資料番号:2120 金剛砲熕公試発射報告(一部抜粋)
 扶桑の公試でも、背負式の上側になる2/5番主砲塔の爆風が下側の1/6番に及ぼす影響への言及がある。 平賀譲デジタルアーカイブ 資料番号:5008 軍艦扶桑砲熕公試発射記事 別冊甲乙添

 さらに遡ると、戦艦薩摩で何やら妙なことをやっている。後部主砲の砲口直下に位置する幕僚公室の窓に筒をつけて、爆風の影響を調べているようだ。背負式配置への布石、だろうか。平賀譲デジタルアーカイブ 資料番号:2058

 ちなみに、アメリカ海軍は一歩先んじて、戦艦サウスカロライナで背負式中心線配置を実現している。 これに先立ち、テストベッドとしてモニター艦フロリダで背負式砲塔の実験を行ったという。日本語wikiからは記述が綺麗に省かれているが。。。
フロリダ (モニター) - Wikipedia

 なお、イギリスで初めて前部砲塔を背負い式に配置したオライオン級について、上部砲塔は中心線より±15°の射撃が禁じられていた、との記述も書籍で見るが、先に述べたとおりネプチューンから照準口フードを変更済みのようだ。単に規則で禁じられていたのか、それとも物理的理由で不可能であったのか。。。

 ただ、弩級戦艦の時代から80年後、戦艦アイオワが1/2番砲塔を中心線から15°右舷に指向した状態で発砲したところ、1番砲塔で電源がすっ飛んだというようなこともあり、下部砲塔が厳しい条件にさらされるのは間違いないようだ。
USS Iowa turret explosion - Wikipedia, the free encyclopediaより
 Gunnery training and experiments

※平賀譲デジタルアーカイブは、一度「閲覧はこちら」を押すと見られる筈

戦艦扶桑―初の国産超弩級戦艦(その2)

 一言に軍艦の装甲と言っても色々ある。もっとも、大体の市販書籍だと「舷側:○○mm~××mm、砲塔:△△mm、甲板:□□mm~☆☆mm」程度のことしか書かれていないが、もう少し詳しく見ていくと、国別・時代別に色々違いがあって面白い。

 日本の主力艦の甲板装甲だが、英国製の三笠を見ると、煙突の上に描かれている船体切断図のとおり、甲板装甲が曲線を描いて舷側装甲下端に接続されている。

戦艦三笠(Wikipediaより)
1906年版ジェーン海軍年鑑における要目(出典:三笠 (戦艦),Wikipediaより)

 その流れを汲んで、初の国産戦艦薩摩も同様の防御形式となっている。平賀譲デジタルアーカイブ 資料番号:2009
 装甲巡洋艦(のち巡洋戦艦)伊吹も同じ。ちなみに、筑波も同じである。平賀譲デジタルアーカイブ 資料番号:2012

 ところが、河内と扶桑は異なり、甲板装甲は水平に張られている。扶桑の場合はこちら 平賀譲デジタルアーカイブ 資料番号:2016
 で、伊勢でもう一度、英国式の舷側装甲下端に甲板装甲が接続される張り方に戻っているのである。

 なぜ河内と扶桑がそうなったかについてはよく分からない。が、なんとなくそれっぽい理由が分かるような気もする。 平賀譲デジタルアーカイブ 資料番号:1037 「輓近英国軍艦ノ装甲防禦ニ就テ」 5/15~
 達筆すぎて読めないが、「甲板装甲を厚くすると重くなるし、船体の縦強度にも寄与しない。だったら強度が上がる上甲板とかに張った方がよくないか。弾道も水平に近いのだし」ということを言っている、ような気がする。平賀譲、明治41年(1908年)の署名がある。

 同時期の他の国を見ると、ドイツはより薄いながらも英国式の張り方だが、アメリカはこの日本式と同じく傾斜部を持たない方式のようだ。ただ、オクラホマ級からは傾斜装甲を持つようになる。

Photo #: S-584-009(Naval History & Heritage Commandより)
戦艦オクラホマ級装甲配置(出典:Photo #: S-584-009 "Battleships Nos. 36 & 37" ... November 13, 1911Naval History & Heritage Commandより)

 この傾斜装甲は、主装甲帯を貫通してきた砲弾や、その炸裂した破片(不貫通の場合に生じる破砕された装甲裏面も含む)を受け止め、また傾斜浸水時の被害極限などを担うものであるが、範囲が広範に渡るため、わずかでも厚みを増やすと非常に重量が増加する欠点を持つ。
 一度扶桑で廃された理由がおそらくそれであろうし、伊勢で復活したのは戦艦主砲の大口径化が進んで砲弾の威力が向上したからであろう。当時の日本の装甲鈑製造能力的に、舷側装甲の厚みを増やすことが困難であったのも理由かもしれない。

 扶桑と伊勢は一見準同型艦に見えるけれども、水平装甲の張り方が根本的に違う―すなわち、それぞれ異なる防御計画に基づいて設計された艦、ということになる。装甲配置が異なり、主砲塔配置が異なり、さらには缶が異なり、機関が異なる艦を、姿形が似ているからといって同じものと捉えるのは適当ではないだろう。
 ちなみに、扶桑は主砲塔も金剛や伊勢と違うより小型のものを搭載しており、バーベット径も異なる。

 伊勢は、決して扶桑の砲塔配置を変えただけの艦ではない。

※平賀譲デジタルアーカイブは、一度「閲覧はこちら」を押すと見られる筈

戦艦扶桑―初の国産超弩級戦艦(その1)

 扶桑型の「欠陥」とされるものの一つに、『砲塔配置が不適切だった為、主砲発射時に爆風が艦全体を覆う』というものがあるが、これは、いつ、誰が、どこで、問題として提起し、そしてどのような解決が図られたのだろうか。
 また、伊勢が起工した時、扶桑はまだ竣工していない(参考)。主砲射撃公試も行っていないのに、あらかじめこの欠陥が判明するのなら、なぜ最初から伊勢の砲塔配置にしなかったのだろうか。

戦艦山城(Wikipediaより)
(速度公試中の山城,出典:扶桑型戦艦,Wikipediaより)

戦艦伊勢(Wikipediaより)
(完成直後の日向,出典:Ise-class battleship,Wikipedia(en)より)

 扶桑の砲塔配置について、公式に扶桑型が改設計を要する旨を説いた文書はこれしか見たことがない。アジア歴史資料センターレファレンスコード:C08020922800 18P~
 概略、大口径砲搭載艦が増えてきたし、背負い式の高い位置にある砲塔は被弾面積が大きいから、砲塔装甲厚くしないといかんよね、といったところ。砲塔配置については一片も言及がない。。。が、扶桑型の第3/4砲塔が、伊勢型で甲板一層削ってあの位置まで降ろされたのと、無関係ではない気がする。
 また、この文書が出たのは大正2年(1913年)で、山城起工の半年も前であるのも興味深い。

 さて、扶桑型の主砲発射による爆風被害は、そんなに問題となるものだっただろうか。問題であったとすれば、いつ、誰が、どこで問題として提起し、どのような解決が図られたのだろうか。

 扶桑の主砲射撃公試、確かに色々壊れている。。。が、概ね電球が切れたとか何かが外れたとかその程度である。平賀譲デジタルアーカイブ 資料番号:5008 軍艦扶桑砲熕公試発射記事 別冊甲乙添
 では他の戦艦はどうだったのか、というと、比叡の記録が残っている。戦艦が主砲を撃ったら、何かしら壊れるものである、ということが分かる。平賀譲デジタルアーカイブ 資料番号:2097 軍艦比叡 公試運転及発射ニ関スル記録 (17/67)

 扶桑の公試最後の「所見」にある爆風関係のものはただ一つ、第2/5番主砲塔(背負い式の上側)の爆風が第1/6番(下側)に及ぼすものだけ。これは砲塔の背負式配置、"Superfire"がもたらす影響であるので、また別の話になる。

 少なくとも、新造時の扶桑においては、その主砲配置を原因とする爆風の影響で生じる不都合はないようだ。

 ほんの1世紀前のことでも、事実というものを正確に伝えるのは困難なことであるらしい。扶桑型新造時の機関出力は40,000馬力とされていることが多く、それ以外の数字が書いてあるものをほとんど見たことがない。けれど、平賀アーカイブにはこんな資料がある。扶桑公試、10/10、平均23.0kt、46,263軸馬力。平賀譲デジタルアーカイブ 資料番号:2224 軍艦扶桑公試運転成績

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日本海軍主力艦(大改装前)の水圧ポンプ力量事情

 大正末期頃の金剛型~長門型の水圧喞筒機の数と馬力は次のとおりらしい。金剛・比叡・霧島450馬力3基、榛名650馬力1基+450馬力3基。扶桑450馬力4基、山城450馬力5基。伊勢・日向/長門・陸奥650馬力4基。(出典:戦前船舶第18号より)

アジア歴史資料センターレファレンスコード:C04015805200 36P
 昭和2年の第一艦隊戦闘運転報告より、戦艦伊勢。図面からも、砲塔を駆動する水圧ポンプは4基であることが分かる。下の方の所見によれば、能力的に「一斉打方」は大丈夫だけど、「斉発打方」は少々力量不足、らしい。
 なお、この当時、前者の用語は連装砲を左右交互に、後者は左右同時に発射する方法のこと。

 砲塔1基あたりの出力は金剛型337.5馬力(榛名500馬力)、扶桑300馬力、山城375馬力、伊勢型433.3馬力、長門型650馬力となる。14インチ砲艦のうち最も有力な伊勢でこのコメントであれば、自由装填と固定装填の違いはあれど、その7割の出力しかない扶桑の斉発は色々支障を来たすのではなかろうか。

日本海軍主力艦(大改装前)の機関出力について

アジア歴史資料センターレファレンスコード:C04016636500 戦闘運転報告1(1) 1P
 昭和4年の戦闘運転報告。陸奥8万8千馬力チャレンジの巻。長門型(新造時)の計画出力、本当に8万馬力だろうか?

 平賀譲デジタルアーカイブ 資料番号:2201 こちらでは8万5千馬力で「全力」、26.5kt。過負荷全力(11/10)ではないことに注意。
 平賀譲デジタルアーカイブ 資料番号:2201 同じく「陸奥十二節十節公試運転成績表」等より、大正10年10月14日の全力予行では8万8千近くを出してわずかに26.5ktに足りていないが、補正前の生データではあろう。

 金剛6万4千、扶桑4万、伊勢4万5千、長門8万。なるほど、確かにそのとおりである。アジア歴史資料センターレファレンスコード:C13071971700 P2
 1ページ目には、昭和6年に「艦艇要目公表範囲を別表のとおり定める」とあり、一般に公表するのはこの数字、という訳だ。

 アジア歴史資料センターレファレンスコード:A03032147000 軍艦伊勢操艦参考資料(20の内4) 昭和9年12月作成、航海科士官用のカンペかな。この表では51,600馬力が出ることになっている。
 アジア歴史資料センターレファレンスコード:C04015805200 第1艦隊戦闘運転報告講評及意見の件(1) P31 昭和2年7月27日、予定出力56,500馬力。

 扶桑も伊勢も直結タービンとしか書かれていないことが多いが、伊勢は減速ギヤを介して接続された巡航タービンを持ち、機関出力と合わせて大きく異なるところ。

 平賀譲デジタルアーカイブ 資料番号:2224(1/2) 軍艦扶桑公試運転成績 平均46,263軸馬力、23.0kt。

 このあたり、もう一度検証してみる必要があるように思われる。

※平賀譲デジタルアーカイブは、一度「閲覧はこちら」を押すと見られる筈

日本海軍主力艦大改装線表

 やはりふと思い立ってグラフにしてみる。

主力艦大改装スケジュール

 日本の主力艦の大改装と大和型2隻の建造スケジュール表。書類上の日付だけで見ると、一瞬だけ可動3隻に落ち込んでいる時期もあるようだ。日向~陸奥が連続して大改装に入っていた時、日本の国防を支えていたのは扶桑型2隻。

 扶桑があの艦橋形状になったのも、このスケジュールが一因と言えるかな。

日本海軍主力艦建造線表

 ふと思い立ってグラフにしてみる。日本初の国産主力艦筑波から、海軍休日前の陸奥まで。

主力艦建造スケジュール

 世の中に、扶桑型の砲塔配置に欠陥―主砲発射による爆風が全艦を覆う、とされるもの―があることが判明したので伊勢型で改正された、というような趣旨の記述は多い。けれど、伊勢の起工時に、扶桑は完成していない。言い換えれば、扶桑の竣工後に砲塔配置の欠陥が判明してから、伊勢を改設計する日程の余裕はない。

 この時点で日本で超弩級艦を建造できるのは4箇所、呉工廠と横須賀工廠、及び民間造船所の神戸川崎と三菱長崎。工廠は複数艦の同時平行建造を行っているが、民間ではそのようなスケジュールでの建造は行っていないようだ。
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天翔

Author:天翔

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ほとんどチェックしていないので、コメント等への反応は保証できません。。。まあもしそんなものがあれば、の話ですが。

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