日本海軍主力艦(大改装前)の水圧ポンプ力量事情

 大正末期頃の金剛型~長門型の水圧喞筒機の数と馬力は次のとおりらしい。金剛・比叡・霧島450馬力3基、榛名650馬力1基+450馬力3基。扶桑450馬力4基、山城450馬力5基。伊勢・日向/長門・陸奥650馬力4基。(出典:戦前船舶第18号より)

アジア歴史資料センターレファレンスコード:C04015805200 36P
 昭和2年の第一艦隊戦闘運転報告より、戦艦伊勢。図面からも、砲塔を駆動する水圧ポンプは4基であることが分かる。下の方の所見によれば、能力的に「一斉打方」は大丈夫だけど、「斉発打方」は少々力量不足、らしい。
 なお、この当時、前者の用語は連装砲を左右交互に、後者は左右同時に発射する方法のこと。

 砲塔1基あたりの出力は金剛型337.5馬力(榛名500馬力)、扶桑300馬力、山城375馬力、伊勢型433.3馬力、長門型650馬力となる。14インチ砲艦のうち最も有力な伊勢でこのコメントであれば、自由装填と固定装填の違いはあれど、その7割の出力しかない扶桑の斉発は色々支障を来たすのではなかろうか。

日本海軍主力艦(大改装前)の機関出力について

アジア歴史資料センターレファレンスコード:C04016636500 戦闘運転報告1(1) 1P
 昭和4年の戦闘運転報告。陸奥8万8千馬力チャレンジの巻。長門型(新造時)の計画出力、本当に8万馬力だろうか?

 平賀譲デジタルアーカイブ 資料番号:2201 こちらでは8万5千馬力で「全力」、26.5kt。過負荷全力(11/10)ではないことに注意。
 平賀譲デジタルアーカイブ 資料番号:2201 同じく「陸奥十二節十節公試運転成績表」等より、大正10年10月14日の全力予行では8万8千近くを出してわずかに26.5ktに足りていないが、補正前の生データではあろう。

 金剛6万4千、扶桑4万、伊勢4万5千、長門8万。なるほど、確かにそのとおりである。アジア歴史資料センターレファレンスコード:C13071971700 P2
 1ページ目には、昭和6年に「艦艇要目公表範囲を別表のとおり定める」とあり、一般に公表するのはこの数字、という訳だ。

 アジア歴史資料センターレファレンスコード:A03032147000 軍艦伊勢操艦参考資料(20の内4) 昭和9年12月作成、航海科士官用のカンペかな。この表では51,600馬力が出ることになっている。
 アジア歴史資料センターレファレンスコード:C04015805200 第1艦隊戦闘運転報告講評及意見の件(1) P31 昭和2年7月27日、予定出力56,500馬力。

 扶桑も伊勢も直結タービンとしか書かれていないことが多いが、伊勢は減速ギヤを介して接続された巡航タービンを持ち、機関出力と合わせて大きく異なるところ。

 平賀譲デジタルアーカイブ 資料番号:2224(1/2) 軍艦扶桑公試運転成績 平均46,263軸馬力、23.0kt。

 このあたり、もう一度検証してみる必要があるように思われる。

※平賀譲デジタルアーカイブは、一度「閲覧はこちら」を押すと見られる筈

日の丸掲げて南氷洋捕鯨―フラワー級コルベットの戦後

 第二次世界大戦中、日本海軍は主に特設駆潜艇、特設掃海艇として捕鯨船(キャッチャーボート)を徴用した。中でも南氷洋捕鯨に用いられた大型の捕鯨船は、南氷洋までの往復航が可能な耐航性を持つことから、船団護衛に従事することも多かった。
 捕鯨船の護衛艦艇転用例はすでに第一次世界大戦からあり、その特性を買われて、第二次世界大戦において、英国では捕鯨船の設計を基にしたフラワー級コルベットを、改型を含めて計258隻建造している。

フラワー級コルベット(Wikipediaより)
フラワー級コルベット USS Intensity(出典:フラワー級コルベット,Wikipediaより)

SouthernPride(出典:WARGAMING MISCELLANY)
原型となった捕鯨船Southern Pride(出典:WARGAMING MISCELLANY

 さて、第二次世界大戦が終わって平和が訪れると、戦没を免れたフラワー級コルベットは大量に余剰となって除籍された。船齢が若いこともあってか、そのままスクラップとはならず、民間船に改装されて第二の人(船?)生を歩むものも多かった。中には、原型と同じ捕鯨船に改装されたものもあった。

 1956年、日本で南氷洋捕鯨事業を展開していた極洋捕鯨は、ギリシャ船主から捕鯨母船オリンピック・チャレンジャーを18隻の捕鯨船を含めて船団丸ごと購入した。この捕鯨船のうち、少なくとも14隻が元フラワー級コルベットであった。

 極洋捕鯨は、これらの捕鯨船に「第○○おおとり丸」と命名して自社の捕鯨船団に加えた。さらにそのうち8隻は、後に主機を蒸気レシプロからディーゼルに換装し、新たに「第○○京丸」と命名され、より長く運用された。
フラワー級新旧対応表
 この時購入した14隻のうち、例えば「第十八おおとり丸」と命名された旧"Olympic Hunter"は元"Vetch (K132)"で、Uボート2隻撃沈の戦果を挙げた猛者である。もっとも、酷使が祟ってか主機を換装されることも無く売船され、捕鯨船としての寿命は短かった。

HMS Vetch (K132)(Wikipediaより)
HMS Vetch (K132)(出典:HMS Vetch (K132),Wikipedia(en)より)

 もっとも寿命が長かったうちの1隻が、旧"Olympic Lightning"の元"Smiths Falls (K345,HMCS)"で、「第十六おおとり丸」→「第二十三京丸」となって昭和53年(1978)頃まで運用されていたようだ。
 南氷洋捕鯨船団 「第23京丸」が大阪港を出港/大阪(空撮)1962年よみうり報知写真館より,「第23京丸」で検索)

 フラワー級の1隻、"Tulip (K29)"と捕鯨船"Olympic Conqueror"の船容を比較するに、面影は煙突周りにしか残っていない。後に「第八おおとり丸」となった後、売却されている。

Tulip (K29)(出典:SHIPBUILDING ON THE RIVER TEES)
Tulip (K29)(出典:SHIPBUILDING ON THE RIVER TEESより)
HMS Tulip (K29) - Wikipedia, the free encyclopedia

Olympic Conqueror(出典:SHIPBUILDING ON THE RIVER TEES)
Olympic Conqueror(出典:SHIPBUILDING ON THE RIVER TEESより)

 戦時に連合国で護衛任務を務めた後、戦後日本で南氷洋捕鯨に従事するという数奇な人(船)生を送った軍艦捕鯨船であった。なお、他に大洋漁業もこの元フラワー級捕鯨船を2隻購入し、運用していた記録が残っている。

全木製硬式飛行船の系譜(その3)

 第一次世界大戦時に硬式飛行船を運用していたイギリスも、ドイツのシュッテ=ランツ社から亡命してきた技術者の主導の下、R31・R32と2隻木製飛行船を建造している。

R31(The Airship Heritage Trustより)
R31(出典:The Airship Heritage Trustより)

 HMA R31の竣工は休戦協定締結直前の1918年11月となったが、この型は操縦室の後方に対Uボート用として12ポンド半自動砲を搭載していたことが特筆される。構造材にはスプルース(トウヒ)が用いられており、ニスを塗って耐火性を持たせていた。
 なお、試験飛行では、船体下部の竜骨両端に立った乗員の姿が互いに見えなくなるくらい船体がたわむことが分かったが、特に問題とはされなかったようだ。

R31(The Airship Heritage Trustより)
建造中のR31(出典:The Airship Heritage Trustより)

 試験飛行を終えたR31は、彼女の基地となるスコットランドのイーストフューチャーに向かう飛行中、縦舵の舵面に張られたキャンバス製の外皮が剥離して操縦が困難となり、ヨークシャーのホーデンに着陸して修理を行なった。

 その5日後に戦争は終わり、R31はそのまま格納庫で待機状態となる。不幸なことに、この格納庫はその直前に発生した火災で屋根を失っていた。応急的な修理は施されていたものの、雨漏りはR31の木質構造材と、その接着に用いられていた接着剤に致命的な損傷を与えることになる。

 強力な合成系接着剤の無かった当時、木質構造材の接着にはおそらく牛乳タンパクから抽出された、カゼイン系の天然系接着剤が用いられていたと思われる。この接着剤は、湿度100%の実験室環境下では24時間でほぼ100%剥離するものである。
#ちなみに、このカゼイン系接着剤は、第二次世界大戦時の木製機、デ・ハビランド モスキートにも使用されている

 R31の廃棄が決定され、解体時に発生した廃材は燃料業者に薪として売却された。総飛行時間は9時間に満たず、任務飛行時間はわずか4時間55分であった。
 なお、後に燃料業者は顧客からの猛烈な苦情を受けることになる。先述のとおり、R31の木質構造材には強力な不燃処理が行なわれていたからである。

 姉妹船R32の完成は戦後の1919年となり、アメリカ飛行船隊の乗員の訓練に用いられたが、資金的な問題から1921年に解体された。総飛行時間はわずかに210時間余りであった。

R32(The Airship Heritage Trustより)
R32(出典:The Airship Heritage Trustより)

全木製硬式飛行船の系譜(その2)

 あまり知られていないことだが、フランスも硬式飛行船を建造している。1913年、現在は軍用ゴムボートメーカーとして有名なZodiac社が建造したフランス初の硬式飛行船は、全長113m、直径13.5mの木構造だった。
 設計者の名前を取って"SPIESS"と名付けられたこの飛行船は、その後、船体延長などの改修を受けつつ数回飛行したようだが、1914年8月の世界大戦勃発を受けてか、同年12月に解体されている。

SPIESS(Wikipedia(en)より)
SPIESS(出典:Wikipedia(en)より)

 Zodiacの創業者の姓が"Mallet(木槌)"なのは、この飛行船が木製なことと何か関係があるだろうか(ありません) なお、大戦中Zodiac社は気球や軟式飛行船の建造に注力している。

Zodiac(Wikipedia(en)より)
ZodiacIII(出典:Wikipedia(en)より)

 以後フランスは、大戦終了後にドイツからツェッペリン飛行船LZ114を戦争賠償として獲得するまで、硬式飛行船を運用することはなかった。この飛行船は"Dixmude(ディスミュド)"と命名されたが、後に地中海上空で嵐の中を飛行中行方不明となり、フランス硬式飛行船の短い歴史はここで終わっている。

LZ114,Dixmude(Wikipedia(de)より)
exLZ114, Dixmude(出典:LZ 114,Wikipedia(de)より)

全木製硬式飛行船の系譜(その1)

 WW1時ドイツは最大で全長200m近い木製の硬式飛行船を、20隻以上実戦配備していた。建造はSchutte-Lanz(シュッテ=ランツ)社で、船体の空力設計などでは有名なZeppelin社を上回る先進性を見せている。

SL2(Wikipediaより)
SL2(出典:シュッテ=ランツ,Wikipediaより)

 Zeppelin社製飛行船に用いられていたジュラルミンに比して、木材それ自体の強度は(試験室レベルでは)決して劣るものではなかったが、当時強力な合成接着剤がなかったこともあって、船体構造の脆弱性が問題になった

SL1骨格(Wikipediaより)
SL1骨格,本船のみ大圏構造(出典:シュッテ=ランツ,Wikipediaより)

 飛行船乗員からは"ニカワ壷"なるあだ名を頂戴していたようだ。Schutte-Lanz社も、後にジュラルミン製の飛行船を建造することになるが、その第1船が就役する前に終戦を迎えることになる。
 なお、構造材として用いられた木材の樹種はアスペン(Aspen,ヤマナラシ - Wikipedia)で、近似種が中国製の割り箸に用いられている。

第一次世界大戦におけるドイツ飛行船の英本土爆撃

 第一次世界大戦においてドイツ飛行船が英本土爆撃を行っていたことは周知の事実であると思う()が、当時の飛行船の爆弾搭載量はどれほどのものであったのだろうか。

L71(Zeppelin; the story of a great achievementより)
L71 at Friedrichshafen(出典:Zeppelin; the story of a great achievementより)

 この爆撃行に出撃した飛行船の最大搭載量の記録は、1916年9月23日夜のL30(海軍所属)によるもので、その内訳は4発の300kg爆弾、40発の58kg爆弾、そして60発の11kg焼夷弾、合計4.2tであった。

1916年4月、ツェッペリン飛行船が投下した爆弾(Wikipedia(en)より)
1916年4月、ツェッペリン飛行船が投下した爆弾(出典:Zeppelin,Wikipedia(en)より)

 その後、英本土の防空体制の充実によって、ドイツ飛行船はその搭載量を代償として最大上昇限度を獲得せざるをえなくなり、戦争後期にはかえって爆弾の搭載量が減少している。

 とはいえ、1918年8月5日の夜、最後の英本土爆撃に出撃したドイツ海軍飛行船隊の5隻は、いずれも2.5~3.5tの爆弾を搭載していた。

L70(Zeppelin; the story of a great achievementより)
L70 at Friedrichshafen(出典:Zeppelin; the story of a great achievementより)

 もっとも、それが全長211.5m/直径24.0m/気嚢容積62,200m^3/最大速度131km/h/乗員18名(L70)の巨体に見合ったものかと言えば、その後の戦争の歴史が証明しているところであろう。

汎用中型中速ディーゼル海陸を行く

 戦後本邦初の建造となった潜水艦おやしお(初代)の機関構成は、水上高速力を発揮する必要がなくなったこともあり、旧来のディーゼル/電動機からディーゼル・エレクトリックとな った。

おやしお (潜水艦・初代)(Wikipediaより)
潜水艦おやしお(初代)(出典:おやしお (潜水艦・初代),Wikipediaより)

 1960年就役の本艦の主機は、敗戦を境に一旦系譜が途絶えた日本の艦船用ディーゼルの替わりに、川崎M.A.N. V8V22/30mMALが2基搭載されていた。この4サイクル予燃焼室式ディーゼルは、1955年から川崎重工がライセンス生産を開始していたものであった。
 形式はV(エンジンシリーズ記号)8(気筒数)V(行程数,2サイクルはZ)22(cm,気筒内径)/30(cm,行程)であるようだ。よって、第二次世界大戦中Uボートの主機関として使用された、MV40/46系列と直接の繋がりはない。なお、そちらは戦中MAN社に勤務していたフランス人技師が、戦後SEMT社を設立して改良型を製作・販売している。

 VV22/30系列は6~16気筒をラインナップし、中型ディーゼルエンジンとして広く用いられた。以後、海上自衛隊の潜水艦はおおしお~うずしお型潜水艦の長きにわたって本系列エンジンを主機としており、駆潜艇かり型/みずとり型、輸送艦あつみ型/みうら型など水上艦にも搭載された。

 一方、その頃無煙化を推進していた国鉄では、DF50形ディーゼル機関車の500番台以降に、本系列の6気筒モデルV6V22/30MA(1,200ps)を採用している。

DF50(500番台)(Wikipediaより)
DF50(500番台)(出典:国鉄DF50形ディーゼル機関車,Wikipediaより)

 また、同時期に建造された青函航路の津軽丸型車載客船7隻と、続く渡島丸型車両渡船の前期建造3隻の主機にも、V8V22/30mALが4基をフルカン継手で1軸に接続する形で8基搭載されている。

津軽丸 (2代)(Wikipediaより)
津軽丸型車載客船(出典:津軽丸 (2代),Wikipediaより)

渡島丸 (2代)(Wikipediaより)
渡島丸型車両渡船(出典:渡島丸 (2代),Wikipediaより)

 余談であるが、車両甲板に機関室高さを制約されてこのような主機構成を取った津軽丸型、主機のピストン数は64、吸排気バルブ数は128になる。ピストン抜きとバルブ摺合せの作業の手間は想像したくない。

八甲田丸機関室(出典:青森市港湾文化交流施設ホームページ)
八甲田丸機関室(出典:森市港湾文化交流施設ホームページより)

 さて、先述のDF50形、0番台は何のエンジンを搭載していたかというと、三菱Sulzer 8LDA25A(1,060ps)である。この系列機関は、1930年代から鉄道用ディーゼル機関として世界各国で採用実績があり、本邦ではDD50形から搭載されている。
 表記は8(気筒数)LDA(エンジンシリーズ記号)25(cm,気筒内径)であるようだ。海に戻って艦船用としては、おやしおに続く小型潜水艦、はやしお型/なつしお型の主機として6LDA25Bが搭載された。

はやしお型潜水艦(Wikipediaより)
はやしお型潜水艦(出典:はやしお型潜水艦,Wikipediaより)

 DF50形以降、国鉄は1,000馬力級ディーゼル機関の自己開発に乗り出し、DD54を除けば、日本の鉄道に再び汎用ディーゼルが採用されるのはJR化後のDF200形まで待たなければならない。

JR貨物DF200形ディーゼル機関車(0番台)(Wikipediaより)
DF200形0番台(出典:JR貨物DF200形ディーゼル機関車,Wikipediaより)

 DF200形0番台に搭載されたMTU 12V396は系列機関を合わせて生産台数が1万台を越えるベストセラーであり、ドイツの209型、212A型、214型潜水艦の主機として用いられる他、軍用艦艇の発電用ユニットとしても採用されている。

209潜水艦(Wikipediaより)
209型潜水艦(出典:209型潜水艦,Wikipediaより)

 以上、共に中型中速ディーゼルを用いるディーゼル機関車と潜水艦の割と意外かもしれない関係。

 ちなみに、戦前の鉄道省が輸入したDC11形ディーゼル機関車にはMAN W6V28/38が搭載されており、本系列は戦前ソビエトの潜水艦の主機として採用されたもの。

英国海軍飛行船―HMA No.1 "Mayfly"

 英国において"HMS (His/Her Majesty's Ship)"を冠する艦船を「英国軍艦○○」と和訳するのはよく見かけるが、"HMA"は何と訳するのが適当であろうか。His Majesty's Airship、英国海軍が建造した硬式飛行船に冠されたものである。

 1911年、ドイツのツェッペリン伯爵が初飛行を成功させたLZ1に遅れること11年にして、英国海軍初の硬式飛行船が完成した。その名もHMA No.1,英国海軍飛行船第一号―この簡素な制式名だけではなく、彼女はより一般的な愛称も持っていた―"Mayfly"である。

HMA No.1(Wikipediaより)
HMA No.1 "Mayfly"(出典:HMA No.1,Wikipediaより)

 これを「カゲロウ」と訳すべきか、「飛ぶかもしれない」と訳すべきかは迷うところ(!)であるが、これが英国流のジョークという奴なのだろうか。。。
 1911年5月22日、HMA No.1の記念すべき初飛行となるはずだった試験飛行は失敗に終わった。重すぎて浮揚できず、3tあまり軽量化してようやく1.2mほど浮かんだようだ。同年9月24日に、再び試験飛行が実施されることになった。

HMA No.1(Wikipediaより)
9月24日、格納庫から引き出されるNo.1(出典:HMA No.1,Wikipediaより)

 結論から言うと、この日も"Mayfly"は空を飛ぶことはなかった――そして、この日以降も永遠に。格納庫から引き出している最中に突風に煽られ、真ん中でポッキリ折れてしまったからである。

HMA No.1(Wikipediaより)
同日船体折損を起こしたNo.1(出典:HMA No.1,Wikipediaより)

 ちなみに、どちらの意味でもまさにうってつけとなってしまった"Mayfly"という愛称は、この事故の前からすでに付けられていたようである。個人的には、5月(May)の初飛行に失敗したあたりで、誰かが皮肉ったのがそのまま現実となってしまったのではないかと考えている。

パブリックドメインのリプリント

 ところで、amazonなどの書籍通販サイトで洋書を買う際の最大の欠点は、中身を確認できないことにあると思う。そんな時は往々にして、キーワードで検索をかけてヒットした本の表紙だけを判断材料に、目を瞑ってオトナ買いする羽目になる。

 さて、今試みにこんな単語でamazon.jpを検索してみると、このような結果が返ってくる。http://goo.gl/2cCAA  注目すべきは同じ題名の本が複数ヒットすることだが、実はこれらの本は、著作権切れでパブリックドメインになった本を、リプリントして販売しているのだ。

 先に例示した本の出典は、おそらくここだろう。http://goo.gl/biHPN  下手をすれば、このPDFをそのままプリントしている可能性すらある。個人的には、資料は電子データよりも紙に打ち出されたものの方が好きだが、この商売はありなのだろうか。まあ、楽譜などは有用かもしれないが。。。

 そういった商売をしている出版社の一つがここだが、表紙の使い回しにもほどがある。検索結果が200万件もあれば致し方ないのだろうが。 http://goo.gl/rHwdz  まあ、題名から推測できる内容と表紙が、あまりにも不一致な時点でおかしいと気づきそうなものではある。
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Author:天翔

Webサイト天翔艦隊管理人がTwitterでつぶやいたネタを、再構成後に格納しています。

ほとんどチェックしていないので、コメント等への反応は保証できません。。。まあもしそんなものがあれば、の話ですが。

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