三式探信儀南氷洋を行く

 「近代捕鯨」を一言で言えば、捕鯨砲を備えた捕鯨船で鯨を射程内に捉え、銛を打ち込んで仕留めるというものであるが、実際にこれを行うとなると中々難しいことであったようだ。
 最大の理由は、あたりまえのことであるが鯨が水中に潜るからで、捕鯨船の追跡を受けた鯨は、その種類にもよるが最大で1時間ほど潜水することがあった。水中での鯨の様子が分かれば捕獲の効率も上がるだろう、とは当然の発想であろう。

 1950年(昭和25年)、大洋漁業から日本電気に、鯨を捕るための超音波探知機の開発が依頼された。ここで日本電気が引っ張り出してきたのが三式探信儀である。太平洋戦争中に開発された潜水艦探知用のそれは、近年某ブラウザゲームのおかげでやたら知名度が上昇したように思う(三式水中探信儀,三式ソナー)。

 三式探信儀に改修を加えた一号機は、大発艇に装備して試験途中に事故で沈没し、一名の犠牲者を出してしまう。なお、大洋漁業ではエンジン付の小型艇を「大発」と称するので、日本軍の使用したそれと同一かは不明であるが、実際に払い下げられた大発そのものを運用していたりもする。

 同じく二号機は捕鯨船(キャッチャーボート)に装備され、小笠原や日本近海、南氷洋で運用されたが、思わしい成果が得られなかったようだ。鯨体の反射波が弱く、ブラウン管と記録機の画像では航走雑音や鯨の出す渦から識別することが困難であった旨の回想が残っている。

 開発に当たった海上電機(現カイジョー,日本電気(NEC)子会社として設立)の社史の記載からは、この一号機がWF-500、二号機がWF-501と読み取れ、それぞれ昭和25年、27年に開発されている。"WF"はWhale Finderの略であろうか。どうやら一号機では手動であった送受波器の方向操作や昇降が、二号機では遠隔操作が可能になっているようだ。

 改良された二号機ではブリッジですべての操作が可能であったものの、オシロスコープを見るのに黒い布をかぶらなければならない、送受波器のサーボ速度が遅く近距離での鯨の動きについていけないなどの不備な点が多かったようで、ついに実用化されなかった。

初期の鯨探機一式,株式会社カイジョー50年史より
「初期の鯨探機一式」,三式探信儀改造(出典:株式会社カイジョー50年史より)

 結局、鯨探機―鯨探知用の超音波探知機はこう呼ばれる―の実用化は、昭和30年頃に英国で発売されたものの導入を待つことになる。後に国産化され、数年のうちに全捕鯨船に装備されたというから、捕獲効率の上昇に有意なものであったのだろう。

 なお、これら三式探信儀改がどの捕鯨船に装備されたかはよく分からない。株式会社カイジョー50年史から読み取れる範囲では、昭和26年の第六次南氷洋捕鯨において、大洋漁業の第一日新丸船団に2隻、日本水産の図南丸船団に1隻、装備された捕鯨船があったようである。
プロフィール

天翔

Author:天翔

Webサイト天翔艦隊管理人がTwitterでつぶやいたネタを、再構成後に格納しています。

ほとんどチェックしていないので、コメント等への反応は保証できません。。。まあもしそんなものがあれば、の話ですが。

累計:現在:

Twitter
検索フォーム
カテゴリ
月別アーカイブ
最新コメント
リンク