空襲を受ける輸送船

 fold3.comより、おそらく神寿丸(大光商船,3,192t)。1944年(昭和19年)5月20日香港から高雄に向け航行中、アメリカ陸軍機の空襲により被弾沈没。

Fold3: Military Records

 キャプションと手書きのメモによれば、第14航空軍の第308爆撃群 第375爆撃飛行隊がN21°02′ E116°48′で撮影したもの。

波形船―戦時造船の徒花

 太平洋戦争中、船腹の不足に苦しんだ日本が取り組んだ戦時造船において、コンクリート船をはじめとしてついに徒花となった計画がいくつか存在するが、そのうちの一つに「波形船」がある。

 波形船とは、船体外板の一部(船体中央の平行部分のみ)に波形(コルゲート)鋼板を用いたもので、目的としては自動車工場のプレスを活用して波形板の大量生産を行い、かつ主機にはやはり大量生産が行われていた自動車機関を用いるというものであった。

波形船断面図
波形船(日義丸)と普通型船の中央切断図(出典:関西造船協会会誌 (64), 1949-03)

 自動車生産能力の一部を逼迫した造船能力に転用しようとしたものであろうか、戦時標準船1F型(530総トン)と同一寸法の貨物船(第一試作船)、次いで油槽船(第二試作船)の試作が計画されたが、前者の建造中に終戦を迎えたたため、後者は図面上のみの存在となった。

 しかし、図面を見るに、完成を見ずに済んでよかったように思われる。第一試作船の機関は推進軸1軸に対し、直列6気筒のガソリンエンジン8基からそれぞれ溝車、つまりVベルトで動力を伝達するものだったようだ。

第一試作船
第一試作船・波型貨物船「波1」一般配置図(出典:関西造船協会会誌 (64), 1949-03)

 搭載予定の直6ガソリンエンジンの計画出力は8基で400馬力(50馬力/1基)、気筒内径82.5mm/行程114.3mmの4サイクル機関らしいが、形式は不明である。スミダA6型あたりが近いように思われるが。。。
 定格回転数はエンジン側の溝車が327rpmで推進軸が260rpmであるが、エンジンのクランク軸は2,000rpm近く回るはずである。ひょっとして、エンジンに車用のトランスミッションがそのまま付いていて減速していたりするのではなかろうか。

 第二試作船も同じく8基の自動車用エンジンを搭載しているが、動力伝達には溝車の代わりに傘歯車減速装置を用いており、一応の進化が見られる。しかし、第一試作船共々どうやって機関を始動するものか想像がつかない。

第二試作船
第二試作船・波型油槽船「波2」一般配置図(出典:関西造船協会会誌 (64), 1949-03)

 加えてガソリン蒸気の充満する機関室、燃料油槽(ガソリン40~50t)の真上に位置する船橋、これに乗り組むことになる船員はたまったものではないだろう。もっとも、当時の燃料事情からして、このまま完成したとしても運航されることはなかったであろうと想像できるが。

 建造に要する資材の見積もりとしては、普通型に比べて波形板を使用する船体中央の直線部分の肋材が大幅に省略でき、鋼材重量が2割程度の減となる。とはいえ小型の1F型であるので、これで捻出できる鋼材はわずかに10t余である。
 一方、工数は船体外板を波形加工するのに必要となる工数と、肋材の曲げ加工が不要となる工数の差し引きで3割強程度の減になるとされ、大量生産が実現した場合はさらに減少する見込みであった。

 さて、建造途中で終戦を迎えた第一試作船は、主機を石炭焚きの蒸気レシプロに変更して1946年(昭和21年)に貨物船日義丸(日産汽船)として完成した。缶室の分貨物倉の容積は減少しているが、当初計画に比べればまっとうな機関構成である。

日義丸
日義丸(波形船)と戦時標準船1F型一般配置図(出典:関西造船協会会誌 (64), 1949-03)

 しかしその生涯は短く、昭和25年5月11日未明、福岡の若松から石炭を搭載して神戸に向かう途上、濃霧の播磨灘で油槽船第三鷹取丸(平和汽船,253t)と衝突、沈没して失われた。乗員27名全員が無事第三鷹取丸に救助されたことが、不幸中の幸いであった。

CiNii 論文 - 波形貨物船 「日義丸」 に就て
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