戦時中の造船所

 写真週報229号表紙(昭和17年7月20日発行)より、本文には「7月1日撮影」とあり、防諜の為「○○造船所」としか書かれていないが、背景に写っているのは雲仙丸(3,140t,日本郵船)だろう。ということは三菱横浜造船所である。
写真週報229号表紙
表紙(写真週報229号)

 「戦時標準船建造は進む」というキャプションを信じるなら、この頃三菱横浜で建造中なのは逓信省標準船(平時標準船)TM型なので、おそらく日南丸か日輪丸のどちらかだろう。先の雲仙丸(汐入船渠,第四~五号岸壁)の位置からして、一番南側の第五号船台だろうか。

写真週報229号本文01
本文6P(写真週報229号)

写真週報229号本文02
本文7P(写真週報229号)

特2TL型山汐丸の戦後

 Naval History and Heritage Commandより、1945年9月撮影の特2TL型山汐丸。同年2月17日、第58任務部隊艦上機による空襲で被爆着底したようだ。
SC 211765 YAMASHIO MARU (Japanese Aircraft Carrier, 1944) scuttled in Tokyo Bay in September 1945
着底した山汐丸(Naval History and Heritage Commandより)

 沈没場所は横浜港内とあるので探してみたところ、どうやら現在の瑞穂埠頭であるらしい。国土地理院の地図・空中写真閲覧サービスより、1946/03/09(昭21)撮影のUSA-M-68-A-6-1-3の一部を拡大したもの。
横浜港瑞穂埠頭(1946/03/09(昭21)撮影)
(出典:国土地理院 地図・空中写真閲覧サービス

 背後の防波堤の見え方からしてこの写真の中央やや下あたりにいた筈だが、米軍が埠頭を使用するに当たって邪魔だったのか、早々に浮揚されたらしくすでに姿は見えない。

 ではどこにいるんだ、というと、ここにいる。同日撮影USA-M-68-A-6-1-29、今の山下埠頭と横浜ベイブリッジの間あたりだろうか。
横浜港内山下埠頭沖(1946/03/09(昭21)撮影)
(出典:国土地理院 地図・空中写真閲覧サービス

 ここで駆逐艦らしきものを挟んで右が、後に八戸港の沈船防波堤になる2TL富島丸/大杉丸/東城丸のいずれかと思われる。すぐ左が撮影日の3日前に漂流衝突して沈没した標的艦大指(未成)。その左の商船2隻は分からない。
山汐丸と標的艦大指
浮揚後、横浜港内で係留中の山汐丸(出典:山汐丸,Wikipediaより)

 さて、浮揚後も係留されていた山汐丸であるが、当時全国各地で艦艇の解体が進められていた。GHQの指令の下、運輸省が最寄の造船所に浮揚・解体を命じ、スクラップは無償で払い下げるが解体費用は出さないというものだったらしい。命令を受けた三菱横浜造船所、割が悪いので浮揚後しばらく放置。

 そんなある日の朝、山汐丸の船首がぽっきり折れて再び沈没してしまった。場所はここ(青矢印)、右側が船首であるが、間の悪いことに5つある船台のうちの2つを完全に塞いでしまっている。1947/07/24(昭22)撮影のUSA-M378-120より。
三菱横浜造船所(1947/07/24(昭22)撮影)
(出典:国土地理院 地図・空中写真閲覧サービス

 あまり関係ないが、この写真の中央上部には一等輸送艦が停泊中である。時期的に小笠原捕鯨に従事していたものであろうか、デッキハウスがあるように見受けられるので、一等輸送艦第9、13、16、19号のいずれの可能性もあると思われる。また、中央やや右で停泊中の船にはバウスプリットがあるように見え、あるいは帆船日本丸/海王丸かもしれない。
 なお、現在この付近一帯はみなとみらい地区となっており、このやや南が現在帆船日本丸が保存されている場所になる。戦後70年を経て、周囲の変遷には目を見張るばかりである。

 閑話休題、ただでさえ儲けが出ないのに、再浮揚となれば赤字は免れない。所長の鶴の一声で、塞がれた第一号第二号船台は地上組立場とし、第三号船台に干渉する船首部分は解体することに決したが、運輸省は航空母艦を岸壁にするのはもってのほか、やりたければ自力でGHQの許可を取ってこいとのこと。
 これは普通のタンカーを改装したものである、などと色々説明したものの取り付くしまもない。結局、あらゆる角度から山ほど写真を撮って提出し、ようやく許可を取ったという。

 こうして7号岸壁こと通称「山汐桟橋(岸壁)」は、昭和30年前後に埋め立てられるまでその姿を残していたようだ。1956/03/10(昭31)撮影のUSA-M324-233より。
三菱横浜造船所(1956/03/10(昭31)撮影)
(出典:国土地理院 地図・空中写真閲覧サービス

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 ちょっと遡って山汐丸建造中の話。完成も近づき、艤装岸壁に繋がれて運転のため汽缶を点火しようとしたところ、風が吹くと煙突から吹き込む風に缶の送風機が負けてしまいどうしても点火できない。

 仕方がないので、岸壁のクレーンで鉄板を煙突の前に吊って火をつけたという。風向きにもよるのであろうが、横向きの煙突も中々難しいということだろうか。同じ特TLのしまね丸の図面を見ると、同様に真横に出してはいるが途中から上に角度をつけており、開口部は上向きになっている。
山汐丸一般配置図
山汐丸一般配置図(出典:戦時造船史(小野塚一郎著,S63今日の話題社))

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 なお、山汐丸が再びの沈没を遂げた頃の横浜港内には、後に八戸港の沈船防波堤になる2TLの富島丸/大杉丸/東城丸のうち2隻と思われる船が係留されている。1947/07/24(昭22)撮影のUSA-M378-127より、時期的にはちょうど沈船防波堤への改装工事中であろうか。残るもう1隻の2TLは、これと同日撮影である先のUSA-M378-120で三菱横浜の岸壁にいる。
横浜港瑞穂埠頭沖(1947/07/24(昭22)撮影)
(出典:国土地理院 地図・空中写真閲覧サービス

八戸港の沈船防波堤―戦時標準船2TL型の戦後(本blog内記事)

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 戦時中陸軍が撮影したものか、1944/10/14(昭19)撮影の897-C8-107より。2TL玉栄丸がこの日竣工だが、第一号船渠右手桟橋に接岸中の船がそうであろうか。船台上にある2隻のうち、上側第四号船台ののっぺりした方は建造中の山汐丸ではないかと思っている。

三菱横浜造船所(1944/10/14(昭19)撮影)

キスカ島残照

Fold3 Image - 46944949

 fold3.comより、砂浜に埋没する大発。状況から見てキスカ島、後ろで擱座している貨物船は野島丸(日本郵船,7,190t)だろう。

Fold3 Image - 46915528

 同じくキスカ島で爆撃を受ける貨物船。倉口の配置からしてぼるねお丸(大阪商船,5,863t)だろう。こちらもすでに擱座後のように見受けられる。

Fold3 Image - 46915408

 爆撃を受けるキスカ湾。上の方にいる輸送船は浦塩丸(川崎汽船,3,110t)だろう。野島丸が座礁後であれば、爆弾が着弾している付近ではないかと思う。
 有名な特殊潜航艇の基地は、先の写真下の方、桟橋と思しき細長い構造物のやや下に見える溝状の場所ではなかろうか。

 なお、ぼるねお丸はgooglemapでもその残骸が確認できる。



 野島丸と浦塩丸は、残念ながらgooglemapでは解像度の低い場所にかかっており確認できないが、現地で撮影された写真が登録されている。

野島丸 / 浦塩丸 -Google Maps

陸軍特殊船あきつ丸(改装前)

 fold3.comより、撮影日時不明、ニューブリテン島のどこかで撮影されたもの。キャプションに記載はないが陸軍特殊船あきつ丸の改装前の姿で、飛行甲板前縁が改装後より前に出てるように見える。

 ラバウル第1回目入港時(1942年12月1日)に撮影された、とされているのがこれだろうか。

Fold3 Image - 46947086
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