空襲を受けて炎上する輸送船

 fold3.comより、1944年1月16日ダイオール島(ラバウルの北西約200km)の西方で炎上する貨物船。上段はカタリナ5機の爆撃直後、下段はその8時間後にB-24から撮影されたものらしい。ハッチ上に複数の大発が搭載されている。

Fold3 Image - 55702436

 同日の沈没船を調べるに、春幸丸(大同海運,4,027総トン)ではなかろうかと思う。船橋前の門型キングポストと、前後マスト左右の煙管型通風筒がそれらしく見える。「日本商船戦時遭難史」によれば、沈没位置はS2°23′ E149°46′となっている。乗船者30名、船員20名戦死。
春幸丸(大同海運,4,027総トン)
春幸丸(大同海運,4,027総トン)(画像出典:川崎重工業株式会社社史)

ヒ86船団の最期(その2)

 引き続きヒ87船団。練習巡洋艦香椎の最後。一枚目遠くに擱座炎上している船舶が何隻か遠望できる。
80-G-300687 Japanese Cruiser KASHII
(出典:80-G-300687, Naval History and Heritage Command)

80-G-300683 Japanese Cruiser KASHII
(出典:80-G-300683, Naval History and Heritage Command)

80-G-300684 Japanese Cruiser KASHII
(出典:80-G-300684, Naval History and Heritage Command)

 これらに限らず、他にもヒ86船団を攻撃している際に撮影された写真はあり、またガンカメラの映像もあったりするが、色々眺めるにこの辺りかなぁ、という気がする。


-***-

 先のヒ87船団の各船と同日同場所(11-10' N 108-50' E)での撮影となっている海防艦。キャプションでは35号か43号となっていて、確かに両方この日に沈んでいるけれど、ヒ86で沈んだのは23号と51号。
80-G-301337 Carrier Raids in the South China Sea
(出典:80-G-301337, Naval History and Heritage Command)

 35号は中央部に3発被弾、切断して沈没、43号は擱座後沈没。51号は艦尾に被弾沈没、23号は生存者なしで沈没状況不明。サタ05なら35号、ヒ86なら23号だが、”11-10' N 108-50' E"はサタ05の方に近いようでよく分からない。200km以上離れている筈だけれども。

-***-

 同じく1945年1月12日、こちらは仏印サンジャック沖で沈没に瀕する球磨川丸(7,510総トン,東洋海運)。
NH 95787 Carrier raids off Indo-China, January 1945
(出典:NH 95787, Naval History and Heritage Command)

球磨川丸(7,510総トン,東洋海運)
(画像出典:東洋海運株式会社二十年史)

 東洋汽船から東洋海運への移籍に当たって改名された3隻のうちの1隻で、元の名は日洋丸。

ヒ86船団の最期(その1)

 1945年1月12日、擱座炎上する戦時標準船2A型。この日はヒ86船団が空襲を受けて壊滅した日で、船体の状況からみて大津山丸(三井船舶,6,859総トン)と思われる。
80-G-301338 Carrier Raids in the South China Sea
(出典:80-G-301338, Naval History and Heritage Command)

 同日、爆撃を受ける貨物船。船体前方にキングポスト2本が特徴だが、 戦時標準船K型の辰鳩丸(辰馬汽船,5,396総トン)だろうか。日本鋼管鶴見建造のK型の写真を見たことがないので、特定し難い。
80-G-301330 Carrier Raids in the South China Sea
(出典:80-G-301330, Naval History and Heritage Command)

 同じく、擱座炎上する戦時標準船2TL型の極運丸(極洋捕鯨,10,045総トン)
80-G-300689 Japanese Tanker
(出典:880-G-300689, Naval History and Heritage Command)

 同じく1945年1月12日、擱座した2隻の輸送船。キャプションでは奥の燃えている船が2,500t、手前が4,500tということになっているけれども。。。
80-G-301336 Carrier Raids in the South China Sea
(出典:80-G-301336, Naval History and Heritage Command)

 船型と状況から見るに、共にヒ86船団で手前が平時標準船C型の昭永丸(大阪商船,2,764総トン)で、奥が第六十三播州丸(西大洋漁業,533総トン)か優清丸(東京都屎尿運搬船,600総トン)ではないだろうか。奥は前者の可能性が高いと見るけれども。
 「播州丸」は大洋漁業でよく運搬船に命名されるが、第六十三播州丸は三菱下関建造の戦時標準型漁船ト型(トロール船)で、船首部マストの形状からこちらの方の可能性が高いように思う。
トロール船利根丸(535総トン,日本水産,戦標漁船ト型(続行船))
トロール船利根丸(535総トン,日本水産,戦標漁船ト型(続行船))(画像出典:日本水産の70年)

 別の角度から。
NH 95605 Carrier raids in the South China Sea, January 1945
(出典:NH 95605, Naval History and Heritage Command)

 こちらにヒ86船団に所属していたさんるいす丸戦闘概報の一部が掲載されており、各船の擱座位置略図を見るに、やはり昭永丸と第六十三播州丸ではないかと思われる。
 

【ヒ86船団所属船】
極運丸(極洋捕鯨,10,045総トン):戦時標準船2TL型
さんるいす丸(三菱汽船,7,268総トン):在来型油槽船
大津山丸(三井船舶,6,859総トン):戦時標準船2A型改造油槽船
昭永丸(大阪商船,2,764総トン):平時標準船C型改造油槽船
永万丸(日本郵船,6,968総トン):戦時標準船2A型
予州丸(宇和島運輸,5,711総トン):在来型貨物船(ex-SS Niels Nielson, Skinner & Eddy)
辰鳩丸(辰馬汽船,5,396総トン):戦時標準船1K型
建部丸(大阪商船,4,519総トン):平時標準船B型
第六十三播州丸(大洋漁業,533総トン):戦時標準型漁船ト型(トロール船)
優清丸(東京都,600総トン):在来船(屎尿運搬船)

ミ18船団の戦時標準船K型3隻

Images reveal three more Japanese WWII shipwrecks torn apart for scrap

 国星丸、日金丸、日和丸。全部ミ18船団所属の戦標K型だなぁ、と思う。中国船の違法サルベージによって、これら三船の残骸が鉄くず回収目的で引き上げられたことを報じる記事。

1944年10月1日
国星丸(こくせい-,大阪商船)積荷不明,陸軍兵31船砲隊1船員15戦死

同10月2日
日金丸(ひがね-,日本郵船)ボーキサイト7,700t他,便乗者7警戒隊2船員6戦死
日和丸(ひより-,日本郵船)ボーキサイト7,790t他,便乗者4警戒隊3船員27戦死

 回収できるのはせいぜい3,000t/1隻くらいの鉄だろうと思うが、記事の下の方にはこれら沈船回収の一般的動機として、リン青銅製のプロペラと"Low-background steel"(いわゆる陸奥鉄)に言及している。戦標2Eで鋳鉄ペラのがいたと思うが、K型がどうであったかは分からない。

第21次ウェワク輸送船団

 fold3.com より、ニューギニア方面でA-20の反跳爆撃を受ける輸送船。「船舶砲兵」(駒宮真七郎,S52出版共同社)の表紙カバーに用いられたりでわりと知られている写真ではないかと思うが、裏書きに鉛筆で1944年3月19日とある。この日に空爆で沈んだ輸送船は2隻いる。

Fold3 Image - 47648859
Fold3 Image - 47648876

 大阪商船の八雲丸(3,198総トン)と栗林商船の大永丸(3,238総トン)がそれで、大きさも似ているが、形も似ていてよく分からない(八雲丸はストックボートの同型船)。キセル型吸気筒の長さ・配置と、武装の程度から大永丸ではないかと思う。
大永丸(栗林商船,3,238総トン)
大永丸(栗林商船,3,238総トン)(画像出典:三井造船株式会社三十五年史)

八雲丸(大阪商船,3,198総トン)
八雲丸(大阪商船,3,198総トン)(画像出典:石川島重工業株式会社108年史)

 一方、こちらはあまり知られていないと思うが、裏書きによれば同一日撮影のもの。船首の砲台や煙突後方の構造物から、先の写真と同一船舶(大永丸)と思われる。機関室左舷に反跳爆撃の直撃弾を受けたらしく、船橋も崩壊している。
Fold3 Image - 47648905

 撮影時刻は前後するが、デリックの状況などからこちらも同一船舶を撮影したものと考えられる写真。
Fold3 Image - 47648937
Fold3 Image - 47648967

 攻撃した側もどうやら大永丸だと考えているらしく、こちらの書籍にこの一連の写真と共に、攻撃を行った搭乗員の回想が記載されている。


-***-

 同じく1944年3月19日撮影、ウエワク付近で爆撃を受ける輸送船。裏書きより輸送船2、護衛艦艇3で、第21次ウェワク輸送船団の帰途と思われる。つまり、先の写真の輸送船とこの写真の輸送船が、それぞれ八雲丸と大永丸のいずれか。
Fold3 Image - 47648831
Fold3 Image - 47649038

 こちらはどうもB-24の水平爆撃で被弾しているようだ。

 この船団に攻撃を加えたうちの一つ、第823爆撃飛行隊の報告書。1隻しか船が出てこないことから、時間的に後で沈没した大永丸の方だろうか。
1944-06
(出典:1944-06(PDF), the 38th Bomb Group Association

Home of the 38th Bomb Group Association
 -folder 823rd AFHRA Documents

第一次・二次戦時標準船の竣工時期

 ふと思い立って、第一次・二次戦時標準船の竣工数とその時期(1A・B・C・D及び2A・D,油槽船除く・改造油槽船含む)を調べてみた。第一次は「戦時」と名が付けども完成は昭和18年(1943年)の後半からで、二次の2A型が海上輸送に投入されたのは昭和19年に入ってから。
戦時標準船竣工数(1A/B/C/D・2A/D)
戦時標準船竣工数(1A/B/C/D・2A/D)

 海防艦丙・丁型の投入も同じ頃で、遅い速いはともかく、日本の戦時造船におけるマスプロが機能し始めたのはこの時期ということだろう。
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