戦艦扶桑―初の国産超弩級戦艦(その1)

 扶桑型の「欠陥」とされるものの一つに、『砲塔配置が不適切だった為、主砲発射時に爆風が艦全体を覆う』というものがあるが、これは、いつ、誰が、どこで、問題として提起し、そしてどのような解決が図られたのだろうか。
 また、伊勢が起工した時、扶桑はまだ竣工していない(参考)。主砲射撃公試も行っていないのに、あらかじめこの欠陥が判明するのなら、なぜ最初から伊勢の砲塔配置にしなかったのだろうか。

戦艦山城(Wikipediaより)
(速度公試中の山城,出典:扶桑型戦艦,Wikipediaより)

戦艦伊勢(Wikipediaより)
(完成直後の日向,出典:Ise-class battleship,Wikipedia(en)より)

 扶桑の砲塔配置について、公式に扶桑型が改設計を要する旨を説いた文書はこれしか見たことがない。アジア歴史資料センターレファレンスコード:C08020922800 18P~
 概略、大口径砲搭載艦が増えてきたし、背負い式の高い位置にある砲塔は被弾面積が大きいから、砲塔装甲厚くしないといかんよね、といったところ。砲塔配置については一片も言及がない。。。が、扶桑型の第3/4砲塔が、伊勢型で甲板一層削ってあの位置まで降ろされたのと、無関係ではない気がする。
 また、この文書が出たのは大正2年(1913年)で、山城起工の半年も前であるのも興味深い。

 さて、扶桑型の主砲発射による爆風被害は、そんなに問題となるものだっただろうか。問題であったとすれば、いつ、誰が、どこで問題として提起し、どのような解決が図られたのだろうか。

 扶桑の主砲射撃公試、確かに色々壊れている。。。が、概ね電球が切れたとか何かが外れたとかその程度である。平賀譲デジタルアーカイブ 資料番号:5008 軍艦扶桑砲熕公試発射記事 別冊甲乙添
 では他の戦艦はどうだったのか、というと、比叡の記録が残っている。戦艦が主砲を撃ったら、何かしら壊れるものである、ということが分かる。平賀譲デジタルアーカイブ 資料番号:2097 軍艦比叡 公試運転及発射ニ関スル記録 (17/67)

 扶桑の公試最後の「所見」にある爆風関係のものはただ一つ、第2/5番主砲塔(背負い式の上側)の爆風が第1/6番(下側)に及ぼすものだけ。これは砲塔の背負式配置、"Superfire"がもたらす影響であるので、また別の話になる。

 少なくとも、新造時の扶桑においては、その主砲配置を原因とする爆風の影響で生じる不都合はないようだ。

 ほんの1世紀前のことでも、事実というものを正確に伝えるのは困難なことであるらしい。扶桑型新造時の機関出力は40,000馬力とされていることが多く、それ以外の数字が書いてあるものをほとんど見たことがない。けれど、平賀アーカイブにはこんな資料がある。扶桑公試、10/10、平均23.0kt、46,263軸馬力。平賀譲デジタルアーカイブ 資料番号:2224 軍艦扶桑公試運転成績

※平賀譲デジタルアーカイブは、一度「閲覧はこちら」を押すと見られる筈
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