薄氷を踏んで―(戦時)標準船南氷洋を行く(米国編)

 第二次世界大戦中、米国は標準型輸送船の大量建造を行った。これらの輸送船はいくつかの規格に基づいて建造されており、例えば"EC2-S-C1"型は貨物船で、うっかり2,700隻ほど建造してしまったものだが、これがいわゆるリバティ船である。

リバティ船,Wikipediaより
リバティ船(出典:リバティ船,Wikipediaより)

 ちなみに"EC2-S-C1"は"EC":Emergency Cargo,"2":垂線長400~450フィート,"S":蒸気機関,"C1"=C1型の意味であるらしい(詳しくはこちらなど)。

 標準型には油槽船の規格もあり、このうち"T2"型に属するタンカーはやはり勢い余って500隻ほど作ってしまったのだが、1943年11月にカイザー造船所で完成した"T2-SE-A1"型の1隻は"Oregon Trail"と名づけられ、海兵隊所属となった。

T2タンカー,Wikipediaより
T2タンカー(出典:T2 タンカー,Wikipediaより)

 戦争が終わり、オレゴン・トレイルは1948年に一旦民間会社に売船された後、1950年に再び売船される。新たな船主は海運王アリストテレス・オナシス、船名は"Olympic Challenger"とされた。
 この時オリンピック・チャレンジャーは大改装を受けて捕鯨母船となり、総トン数も3,000t増加して13,000tとなった。機関は従来どおりのターボ・エレクトリックである。4本の煙突のうち、おそらく前2本が船内工場用に追加されたと思われる補助ボイラーのものだろう。

Olympic Challenger
Olympic Challenger(出典:The History of Modern Whaling)

 オナシスは南氷洋捕鯨を目的とする捕鯨会社を設立し、その母船としてT2型タンカーを、捕鯨船としてフラワー級コルベットを、それぞれ改装して捕鯨船団を編成したのである。ちょっと前の大西洋の護送船団を髣髴とさせる組み合わせではある。
 なお、このオリンピック・チャレンジャー船団はパナマに船籍を置き、乗組員は主にドイツ人であったが、これは戦後自国の国旗を揚げて南氷洋に出漁できなかったドイツの苦肉の策でもある。

 さて、この捕鯨船団であるが、しばらく運用してみるとどうも評判が悪い。国際捕鯨条約で定められた操業規制を守らず色々問題を起こした挙句、ついには国際捕鯨委員会に鯨油の差し押さえを食らってしまう。海運王は傘下の一事業に過ぎない南氷洋捕鯨で国際問題を抱えることを嫌い、船団の売却を決める。

 これに飛びついたのが日本の捕鯨会社で、極洋捕鯨と日東捕鯨が競って交渉した結果、極洋が随分高額な買い物をする羽目になったようだ。再び改装を受けて総トン数は16,000tとなり、新たに「第二極洋丸」と命名された。

ShipSpotting.com
© Chris Howell

第二極洋丸(shipspotting.com)

 以後、この元T2タンカーは南氷洋に10回、北洋に4回出漁し、日の丸捕鯨船団の一翼を担うことになる。後に捕鯨枠の削減に伴って不稼動船となり、1974年に売船、翌年韓国で解体された。

 さて、T2タンカーといえば、このスケネクタディー(Schenectady)の船体折損事故である。度々南氷洋に足を運んだ第二極洋丸、こうならなかったのは幸運であったと言えようが、乗っていた人々は気づいていたのだろうか。手記などで触れられているものはないのだが。。。

Schenectady(T2-SE-A1),Wikipediaより
スケネクタディー(T2-SE-A1型)の船体折損事故(出典:スケネクタディー (タンカー),Wikipediaより)
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