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戦時商船標準機関始末記(その1)

 1943年(昭和18年)、海軍艦政本部からの指示により三井造船は岡山機械製作所の建設に着工した。大型商船用の戦時商船標準機関、62VF型5,000BHPの製作を担当させるものだったらしい。年間60基30万馬力の一貫製造能力を有し、昭和21年完成の計画であったが、昭和19年に鋳物工場が稼動して玉野造機工場に一部製品の供給を開始したものの、終戦と共に閉鎖されている。

 戦前デンマークのバーマイスター&ウェイン(Burmeister & Wain)社のディーゼル機関のライセンス生産を行っていた三井造船であるが、この時製造していた機関は2サイクル単動トランク型の1062VF115―10(気筒数)/62(cm,気筒内径)/VF(形式名)/115(cm,行程)―であった。
 では、この機関がどの船に搭載されたかというと、陸軍特殊船の甲型摩耶山丸と玉津丸である。いずれも三井造船玉野工場で建造され、本機関を2基2軸として搭載し、昭和19年に相次いで喪失している。

 さて、戦い終わって1949年(昭和24年)。戦時中の仕掛品として残っていたものを集めて完成させた1062VF115が1基、ある戦時標準船に搭載されることになった。船の名前は第一日新丸、大洋漁業所属の捕鯨母船(戦時標準船3TL型)である。

捕鯨母船第一日新丸
捕鯨母船第一日新丸(大洋漁業,戦時標準船3TL型)

 それまで蒸気タービン船として就航していた第一日新丸であるが、終戦直後に艤装された悲しさ、戦後南氷洋初出漁となった昭和22年頃はパイプの接手やバルブでまともに締まるものがなく、蒸気が漏れ放題になっていたという。また、船内工場では鯨油採取用ボイラーで蒸気を大量に使うため、工場が稼動し始めた途端に母船の速度は3ノットまで低下した。仕方がないのでボイラー6基のうち半分の3基を止め、ようやく6ノットで走ったと伝えられているが、本機関搭載により改善されたことと思われる。

 話はここで終わらない。第一日新丸はその後、新母船日新丸の就役に伴い、一旦油槽船に改装されて錦城丸と名を変えるが、その後再び捕鯨母船に改装される。もはや戦後ではない、と経済白書が述べた2年後の昭和33年、再度川崎MAN製の最新型ディーゼルに主機を入れ替えることになった。

 ここで余剰となった1062VF115であるが、そのままお役御免とはならずに再度別の船に搭載される。お古を頂いたのも戦時標準船、大洋漁業の冷凍工船として就役していた永仁丸(戦時標準船2A型)である。こちらも、それまで装備していた蒸気タービンを換装するのが目的だったのだろう。

冷凍工船永仁丸
冷凍工船永仁丸(大洋漁業,戦時標準船2A型)

 永仁丸は昭和55年に解体されて一生を終えるが、その後機関を換装した形跡はない。戦標船2隻を渡り歩いた戦時商船標準機関も珍しいものだろう。
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