ある浮船渠の由来-陸軍特殊船熊野丸の戦後

 日本陸軍が建造した揚陸艦の一種である陸軍特種船の一隻に、熊野丸(戦時標準船M丙型)がある。1945年(昭和20年)3月31日に一応の竣工とされたものの、戦局はすでに本船が運用が可能な状況にはなく、広島湾の金輪島に兵装未搭載で擬装を施して係留されたまま終戦を迎えている。
 戦後は引揚輸送に従事した後、1948年(昭和23年)8月末までに解体されたようだ。

陸軍特殊船熊野丸
陸軍特殊船熊野丸(出典:熊野丸,Wikipediaより)

 国土地理院の地図・空中写真閲覧サービス、1948/02/20(昭23)撮影のUSA-M18-4-61の一部、神戸港。現在の神戸市灘区沖、神戸製鋼付近に停泊中の陸軍特殊船熊野丸。

USA-M18-4-61
USA-M18-4-61(出典:国土地理院 地図・空中写真閲覧サービス

 熊野丸の解体後、二重底のみがしばらく神戸港に浮いていたという。その後川崎重工神戸が払い下げを受け、12月から浮きドックへの改装工事に着手した。

 二重底を船台に台車で引き揚げて上部構造物を追加建造し、1949年(昭和24年)3月9日に再びの進水を経て、3月末に1,000総トンの収容能力を持つ浮きドックとして完成している。なお、新設部分にも熊野丸の解体材料の転用が図られ、機器類もありあわせのものが使用された。

1,000t浮きドック
1,000t浮きドック(出典:関西造船協会会誌 (67), 1950-09)

 同じく1961/05/14(昭36)撮影のMKK611-C15-120の一部、川崎重工神戸工場付近。中央の大きな浮きドックは川崎の誇る13,000t浮きドック(1953年完成,第三浮きドックと命名)。その左側にいるのがex-熊野丸のようだ。 第三浮ドックの完成と命名に合わせ、ex-熊野丸は第二浮ドックと命名される。

MKK611-C15-120
MKK611-C15-120(出典:国土地理院 地図・空中写真閲覧サービス

 1972/05/03(昭47)撮影MKK726-C3-12、中央に二基並んでいる小型の浮きドックのうち、左側の小さい方がex-熊野丸らしく、これがおそらく最後に確認できる写真ではないかと思われる。実際にこの浮船渠がいつまで活動していたかは分からない。残存・帝国艦艇(木俣滋郎,S47図書出版社)によれば、ex-熊野丸こと第二浮きドックは「昭和47年末に廃棄される予定」とされている。

MKK726-C3-12
MKK726-C3-12(出典:国土地理院 地図・空中写真閲覧サービス

 余談であるが、13,000t浮きドック(第三浮ドック)の方はポンツーンの輪切りを6つ進水させて後で繋げ、上部構造物を載せるという面白いことをやっている。こちらは、現在稼働中の新第三浮きドックが完成する1986年(昭和61年)2月まで現役だったようだ。

CiNii 論文 - 二重底を改造せる浮船渠の設計に就て
CiNii 論文 - 12,000_T浮船渠「ポンツーン」の進水に就いて

CiNii 論文 - 浮揚力38,000t"新第三浮ドック"
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