艦本式ディーゼルとその戦後(その1)【2017/3/12改稿】

 さて、通称「艦本式ディーゼル」こと艦政本部式内火機械の命名規則は、概ね次のようなものである。

1号~:複動2サイクル空気噴射
11号~:複動2サイクル無気噴射
21号~:単動4サイクル無気噴射
31号~:単動2サイクル無気噴射 (以下省略

 これに加えて気筒数を型名とし、11気筒以上は10の位を略している(例:22号10型,13号2型)。

 1番台は水上高速型潜水艦に(1号7型:巡潜2型/8型:海大6~7型/10型:巡潜3型・乙型改一,2号10型:巡潜甲乙丙型)、10番台は大型水上艦の主機に用いられている(11号8型:瑞穂/10型:大鯨/10型・2型:剣崎型・千歳型,13号10型・2型:日進)。

 続く20番台であるが、21号は三菱神戸がライセンス国産したL型潜水艦(呂51~)のビッカース製主機を参考に、三菱神戸が開発したものである。8型が海中6型に搭載されたが、艦自体が試作要素を帯びていたこともあってか生産数は少ない。

 22号は、当初11号のターボブロワ用として開発されたものだが、6・8・10型が各種水上艦艇・潜水艦の主機として多数製造され、戦後にも民間船への搭載例がある。

 23号はマ式2号ディーゼルの流れを汲み、三菱横浜造船所で設計開発されたG8V37/50を23号8型として採用したものである、とされているが、疑義もあるようだ。甲と出力を増した乙があり、他に6型がある。海防艦や潜水艦の主機として用いられ、22号と同じく戦後にも搭載した例があり、23号を元に戦後開発された機関もある。

 24号は6型が呂100型の主機として搭載されたが、これは三菱神戸造船所で設計開発された艦船用の発電機駆動用6G31/38であり、発電機としては系列機関が海大型・巡潜各型潜水艦や大鯨、大和型などに搭載された他、気筒を減らしたものが民間漁船用機関として製造された。

 25号は、2号より製造と取扱いが容易で性能に優れた潜水艦主機として三菱神戸で設計・製造され、2型が1944年(昭和19年)に試運転までこぎ着けたものの、戦局の悪化に伴い潜水艦には搭載されず、生産も中止された。

 26号はUボートIX型のMAN製M9V40/46形ディーゼル主機の国産化を図ったもので、さつき1号ことU511(IXC型,後の呂500)で技師1名と共に図面250枚が到着したが、26号9型として図面を翻訳中に計画は中止され、未成に終わった。20番台は以上。

 ついでに唯一の30番台である31号は、13号のターボブロワ駆動機関で、6型1,900馬力が日進に搭載された。

 ここから本題。

 不調の為、横須賀での空母改装時に撤去されてしまった大鯨・剣埼型の11号各型計20基であるが、その後どうなったかはよく分からない。が、少なくともそのうちの大鯨分4基は行き先が判明しており、三菱横浜で建造された戦標船2TL型2隻の主機となっている。
 2TL型さばん丸(1944年(昭和19年)9月竣工)と玉栄丸(同10月)の2隻がそれで、竣工までの機関調整に長時間を費やした後も不調は続き、内地近海の輸送に従事していたようで、1945年7月下旬に前後して呉と徳山で沈没している。

 搭載方法であるが、複動2サイクル10気筒6,800BHP(定格)の11号10型を単動化し、大鯨の片舷1軸分2基をフルカンギヤごと載せたらしく、改造後の定格は1基当たり1,560だったり1,800だったり資料によってまちまちであるが、まあその程度であったようだ。

さばん丸機関室配置
さばん丸機関室配置(出典:「新造船写真史」三菱重工横浜,S56)

 曰くタービン装備の2TLとは燃料タンクの配置のみ相違、とのことだが、80t/1基の11号×2とフルカン、加えて補機駆動用の補助缶があったに違いなく、機関重量は少なくとも100t以上増加していたのではなかろうか。良く言えば有効利用であるが、本来三菱横浜が建造する計画であった2TLDのディーゼル機関に比べて、このスペック(機関単体で45kg/BHP)は有体に言って粗大ゴミだろうなと思う。
 当初は補機(ターボブロア)として搭載されていた22号でも載せたかと思っていたが、こちらは5型(5気筒)で少々小さすぎるようだ。

 戦後、両船共サルベージされて日本の復興に貢献するが、復旧工事に際してさばん丸の主機は蒸気タービンに換装された(1949年)が、玉栄丸に新たに搭載されたのはなんと先述の25号2型であった(1948年)。なんとも艦本式に縁のある船である。

 以後、日本水産所属となった玉栄丸は、計16次に渡る南氷洋捕鯨と漁閑期のペルシャ・アメリカからの原油輸送、後にミール工船に改装されてからは北洋での母船式漁業にも従事し、地球を十文字に駆け巡ることになる。

玉榮丸
玉栄丸(出典:Australian War Memorialより)

 途中、トラック島での引き揚げ成った第三図南丸を日本まで長駆2千海里を曳航し、また南氷洋で事故により沈没した冷凍工船摂津丸(元陸軍特殊船・戦時標準船M型)の最後を見届けるなど、昭和50年('75)に解体されるまで、波乱万丈の生涯を送った戦標船であった。

CiNii 論文 - 日本の艦艇・商船の内燃機関技術史(第2次世界大戦集結まで) -商船用内燃機関編(その6)-

CiNii 論文 - 沈没船内機関の腐蝕状態について
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