輸送船時代の練習帆船日本丸

 AWMより、帆装を撤去して輸送船となっていた時代の練習帆船日本丸。場所はおそらく呉、時期は1950年とあり、舷側にSCAJAP No.が見える。

HOBJ0247,Australian War Memorialより
接岸中の日本丸(広島県呉市,Australian War Memorialより)

 日本丸と海王丸は昭和18年1月23日、横浜の浅野船渠へ入渠、すべてのヤードと1・2番船倉の固定バラストを陸揚げしている。撤去したヤードは浅野船渠隣の市営市場の片隅に保管されていたが、空襲で被弾して若干の損傷を受けた。終戦後の帆装復旧時に鋼製ヤードは使用に耐えるものと判定され、再び両船のマストに装備されている。

 一方、練習帆船大成丸はこれに先立つ昭和17年秋、三菱横浜造船所ですべてのヤードとゲルンマスト以上のマストを取り外し、固定バラストも陸揚げしている。このとき撤去されたマストとヤードは横浜の灯台局構内に保管されていたが、昭和20年10月に大成丸が神戸沖で触雷沈没後、昭和26年になって日本丸の帆装復旧に際して転用が計画されたが、使用不能と判定されて破棄されている。
 日本丸の帆装が復旧なったのは昭和27年5月、海王丸のそれは昭和30年12月であった。

HOBJ0248,Australian War Memorialより
同上(Australian War Memorialより)

 この時期の日本の練習帆船は、建造こそ国内の造船所であったが、設計は英国のラメージ・アンド・ファーガッソン社の手によるものであった。
 回想などをみるに、日本丸はどうも資金面から当初計画の270フィートから船型が縮小(船首部で10フィート短縮)されたにも関わらず、帆装図面は当初計画を若干手直ししただけで送られてきたらしく、担当者は改修に相当苦労したようだ。これがR&F社が手抜きをしたのか、発注元の文部省に問題があったのかは分からない。

HOBJ0246,Australian War Memorialより
同上(Australian War Memorialより)

 終戦後から帆装復旧に至るまで、日本丸と海王丸は引揚者の帰還輸送、そして朝鮮戦争勃発時には日本-韓国間の米国・韓国軍人の特殊輸送にも従事している。日本丸がこの特殊輸送に従事したのは昭和25年の夏以降なので、あるいはこの写真はそれに近い時期かもしれない。
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