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石炭を焚く(その1 巡洋戦艦驀進す)

巡洋戦艦金剛(新造公試中)
新造公試中の巡洋戦艦金剛(出典:金剛 (戦艦),Wikipediaより)

 ところで、新造時の金剛型~扶桑型~伊勢型は、それぞれ主缶に混焼缶を搭載していた。通常は石炭のみで焚火するが、高出力の発揮が求められる時に重油噴燃器(重油バーナー)を挿入して点火し、ブーストをかけるものである。

建築設備技術遺産認定 巡洋戦艦「金剛」搭載のヤーロー式ボイラー(呉市海事歴史科学館 大和ミュージアムより)

 金剛に搭載され、大改装時に降ろされた36基のヤーロー式缶のうち1基が、呉の大和ミュージアムに現存する。石炭を投入する焚火口 は4つ、その上の3つの黒丸は各缶3基のバーナー挿入口であろう。焚火口の下の3つの長方形は、灰出し口と思われる。

 さて、大正6年9月10日、金剛が豊後水道で戦闘運転を実施した記録を見ると、6時間平均で63,800軸馬力、平均速力25.4ktを発揮している。この時、燃料消費量は毎時あたり石炭41.5tと重油10tであった。
 アジア歴史資料センターレファレンスコード:C08020987100 P57

 金剛の缶は36基あるので1基当たり毎時1.15t、毎分に直すと19kgの投炭量となる。石炭は、重油と違ってバルブの開閉で燃料タンクから供給されるものではないし、ましてや自分で歩いてこない。炭庫から缶前までも運んでこなくてはならない。もちろん人力で、である。

 これに加えて、石炭は燃えた後に灰が出る。いわゆる石炭殻で、灰というよりはむしろ砂利である。燃料炭は練炭であるが、灰分5%として毎時60kg弱、10%として120kg弱の赤熱する砂利を燃え盛る缶から掻き出し、海水をぶっかけて冷やしてからアースポンプにかけて艦外に排出する必要がある。
 これらの作業を1缶当たり8名ほどの定員で、機関の高出力運転が続く限り行わなくてはならない。記録を手繰っていくと、金剛が20ktを発揮する際には、すでに缶部が通常の三直配置では追いつかず、二直の人員配置を要し、23ktでは他の機関部も二直となるようである。

 投炭と聞いて思い浮かべる蒸気機関車の機関助士は、30分で600kgの投炭量が一つの目安とされていたそうだが、一乗務あたりの投炭量が2tを越えると2名乗務となったらしい。どちらが条件が厳しいかは一概に言えないが、重労働であろうことは理解できる。

 なお、金剛は新造公式試験で78,000軸馬力余で27.5kt余を発揮しており、この時の石炭消費量は毎時50t近いと思われる。一方で、石炭専焼での全力試験も行っており、重油なしでも20分ほど64,000shpが出たようだ。この時の投炭量は毎時にして60t、1基当たり毎分27.6kg。重油ブースト分で14,000馬力の計算になる。
 アジア歴史資料センターレファレンスコード:C08051188500 P43

 この過酷な機関科の様子を、横須賀の海軍機関学校に嘱託教授として奉職した昭和の大文豪が、文章にして遺している。缶室に降りるエレベーターがあるんだなぁ、と思わぬ発見がある。

 「軍艦金剛航海記」 芥川龍之介 (出典:青空文庫より)

 いずれにせよ、これら日本の主力艦は、高速力を長時間発揮する必要に迫られた際に不利になったことであろう。同時期に竣工した米英の戦艦は、すでに専焼缶への切り替えを進めている。第一次世界大戦の地中海、ゲーベン追跡戦で起こったことが起こりえない理由もない。

外国航路石炭夫日記―世界恐慌下を最底辺で生きる(amazon.jpより)
 商船も石炭焚きだった時代は当然ある訳で、そんな時代の船で缶を焚くお話。大西洋航路の定期船はどんなんだったんだろうな。。。モレタニアとか焚きたくないなぁ。

海軍製錬炭(出典:久留米観光サイトほとめきの街くるめより)
 日露戦争以降の軍艦の石炭燃料は、後の徳山海軍燃料廠で作られた練炭を使用している。

おまけ:戦前の機関助士試験の動画、投炭試験(13分25秒~)

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