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石炭を焚く(その2 軍艦国産重油を焚く)

アジア歴史資料センターレファレンスコード:C04015262500 P22
 巡洋戦艦霧島全力運転2時間、75,912軸馬力。この時の石炭消費量は毎時45.5t、毎分21kg/缶。ところで、改装前の金剛型って機関出力何馬力ってことになってましたかね。

アジ歴レファレンスコード:C08021178500 37P
 ちょっと時代は遡って大正7年、金剛が使用している重油は秋田産。軍艦用液体燃料を、日本が自給できていたのはこの頃まで。

 実は、日本国内の原油生産量がピークに達したのは、1915年(大正4年)から翌16年にかけて。年間47万kL弱といったレベルであるが、これには関税による保護政策が関わっている。

紀洋丸(Wikipediaより)
紀洋丸(出典:紀洋丸,Wikipediaより)

 東洋汽船が1907年(明治40年)、初の国産航洋タンカー紀洋丸を起工する。ところが、時を同じくして、政府が国産原油の保護のため、原油の輸入に対する関税を引き上げた(1909年)。
 結果、タンカーとして竣工した紀洋丸は、南米移民船として改装する羽目になり、本来の目的であった油槽船への再改装が完了するのは、軍艦用燃料の需要が増大する動きを見せはじめた1921年(大正10年)のことになる。

 同じ頃、国産航洋タンカーの第二段が竣工をはじめる。つまり、戦前の日本のタンカーの歴史は、1920年から1945年までのわずか四半世紀しかないということになる。

 太平洋戦争の4年間で、わずか20年の間に築き上げた60万トン近い船腹はすべて戦火の中に消え、戦前から生き残った国産航洋タンカーは、1928年(昭和3年)建造のさんぢゑご丸(7,269t)ただ1隻のみであった。

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 日本の石油についての歴史は、JOGMECで公開されている「戦争と石油」が詳しい。執筆者の岩間敏氏は石油で読み解く「完敗の太平洋戦争」 (amazon.jpより)の著者の方。
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